人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

肉屋のキャラクターをさせられている牛や豚の悲哀たるや

よく焼き肉屋や肉系の居酒屋で牛や豚を店のビジュアルキャラクターにしているところがある。あれはどうなんだ。見かける度に思う。適当に画像を拾ってきたがこういうやつだ。

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キャラクターにされている豚や牛もニッコニコしているが、お前わろてる場合かと思わざるを得ない。こういったイラストが人間によるデザインの産物であって、そこに牛や豚の意図が一切介在する余地も無いことは重々承知の上で、やっぱりわろてる場合ちゃうやろ、と思う。

ただ、生物というものが生存を続けていく以上は、他の生物を食べる必要がある。当然ながらそれは人間も例外ではない。特に人間の食事には「娯楽」という側面もある。どうせ頂く命なら、より有意義に消費される方が良い。となると、やはりキャラクターの牛や豚は笑顔でないといかんだろう。

「今日は焼肉にしようぜ!」と盛り上がって店前に行って、牛のキャラクターの表情が悲壮感と怨念溢れるものだった場合どうなるか。さっきまで「生センマイあるかなあ」とか「腹減ってるから5人前くらい食べれるわ~」と豪語していたサラリーマン達も皆一様に口を噤む。牛タン大好きなわたしも「そういえば牛一頭からとれる牛タンって何人前くらいなんだろう」とひっそりと牛の命を概算し出す。誰からともなく「今日は焼肉…やめとくか」と言い出し、そぞろに歩き出す。さっきまで「今日はガッツリしたもん食いたい」と騒いでいた奴は「おでんとかにしよう」と野菜と練り物に逃げ道を見出し、後ろの方では「俺さっきの牛と目合っちゃったよ」と一人が言い、「やめろよ!」と肘で小突かれているしまつ。

確かにこんな飲み会の始まりはいやだ。命をいただく大切さは食事のシーンとは離れたところで学ばせてほしい。牛や豚のキャラクターには今後もずっと笑顔でいてほしい。それが人間のエゴの象徴的表象物のひとつだとしても。

とかなんとか日頃から考えていたのだが、この間「さすがにこれは人道にもとる」と思わされた店があった。ビジュアルキャラクターがいたわけではないのだが、店の名前が「うなぎのお宿」だった。

いくらなんでも、これはいかんでしょう! 百歩譲って、肉を提供する飲食店が牛や豚をイメージキャラクターにするのは分かる。パッと見で何の肉を提供しているかが分かるし、ビジュアルにする場合そこに悲哀があっては客も引くだろう。

ただ「うなぎのお宿」は違う気がする。人道的に超えてはいけない一線をスキップでまたいでいる。だって宿って、もうそれ完全に騙し討ちでしょう。うなぎに対する。わざわざ「お」をつけてお宿とか慇懃に表現しているが、この丁寧さも熟練の詐欺師の手口の一つですよ。

うなぎの一家が新橋駅前を歩いている。年の瀬を迎え、いよいよ厳しくなってきた冷え込みと、冷たい北風が体表面のぬるぬるを急激に冷やしていく。

「お父さん、寒いよ。早くどこかに入ろうよ」

「そうしたいが、どこのホテルも断られてしまってなあ」

「やっぱりこの粘液がダメなんだよ!もう疲れたよ」

「もうちょっとだから頑張んなさい。子どもは元気でなくちゃいかん」

ぐずる子うなぎに父うなぎは厳しく接する。だが、冬を迎え、日ごとに大きく成長する子うなぎを、父うなぎは内心とても誇らしく思っているのだ(ちなみにうなぎの旬は10-12月である)。母うなぎも、あんなに小さな稚魚だったのに、こんなに生意気な口がきけるほど大きくなったのね、としみじみ。粘膜ぬらぬら。

歩を進めていくと、子うなぎが何かを発見する。

「父さん、あれ見て!『うなぎのお宿』だって!」

夜道に、「うなぎのお宿」と書かれた内照式看板が煌々と浮かんでいる。東京のこんな繁華街にも、わざわざうなぎのための宿を用意してくれているなんて、親切な人もいたもんだ、と父うなぎは感動もひとしお。店に入ると、応対もしっかりしていて、店内も綺麗だ。飛び入りでの宿泊だが、用意があるらしい。店内は古典的な日本風のつくりで趣すら感じさせる。立派な水槽まで完備されており、母うなぎなんかは平身低頭で店員にお礼を言っている。

「宿が取れて本当によかったわあ、わたしなんか粘膜が風で渇いてパリパリになっちゃったわよ」

母うなぎも寝床が確保できて安心したのか、先ほどよりも饒舌になっている。

家族で水槽に入り、ひといきつく。水温もちょうど良い。「今日は家族水入らずだな」「水に入ってるけどね!」。うなぎジョークも弾む。父うなぎは旅の疲れに意識が眠りの世界に誘われるのを感じる。父うなぎは目を閉じて考える。ここはきっと、長年うなぎを相手に営まれてきた宿なのだろう。明日、朝起きたらまた店の人にお礼を言おう。どこか遠くで声がする。こんな遅くまで店は賑わっているようだ。近所でも評判の店なのだろうか。食堂もあったようだ。明日はそこで豪華なものを食べて、また旅を始めよう。こんなに良い店なんだ、さぞかし飯も美味しかろう……。

うなぎ家族が皆寝静まった頃、店に二人のサラリーマン風の男が入ってくる。店主とのやり取りも軽妙だ。なじみ客なのだろう。

「いらっしゃい、何にします」

「お任せでいいよ」

「今日はさっき新鮮なのが3匹入ってきたんですよ。白焼きなんかどうですか」

「いいね、じゃあそれに癇つけて、あと肝吸いね」

明朝、店の看板は光を消し、通りは閑散としている。うなぎの家族が入った店から、誰かが出てくる気配は無い。騒がしかった子うなぎの声は、もう誰にも聞こえない…。

こういうことですよ。「うなぎのお宿」で毎日行われていることは。もうほんと、飲食店を始める人は店名とかビジュアルとかを決める前に、聖書とか哲学書を読むか、それか大学で倫理学を専攻した人にアドバイザーに入ってもらってください。頼みますから。

ヒロイン願望から逃れられない

ベルセルクのガッツとドロヘドロのカイマンが好きだ。

これだけで始めると「なんのこっちゃ」だと思うが、それぞれ『ベルセルク』『ドロヘドロ』という漫画作品の主人公である。

これまで、所謂「好きな異性のタイプ」というものをあまり意識したことがなかった。容姿や性格など、当然ながらあるにはあるのだが、いまいち自分の中でまとまっていないところがある。そのため、飲み会などで「好きなタイプは?」と聞かれても、その場にいる男性に寄せた忖度回答か、「優しくて面白い人」と氷が解け終えたアイスコーヒーの上澄みのようなうっすい答えしか返せてこなかった。マゴマゴしてしまう。ちなみにクラブにいる時に同様の質問をされた時だけは、確固たる意志で「クラブとかに来ない男」と答えている。ここは揺るがない。

ただ最近、漫画やらアニメやらに造詣の深い人間と飲む機会が多くて気付いたのだが、どうやらわたしはガッツとカイマンのような人物が理想の男性のタイプだ。ちなみにお二人の近影はこんな感じである。

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(左:『ベルセルク』ガッツ 右:『ドロヘドロ』カイマン)

血まみれの画像ばかりで申し訳ない。カイマンに至っては顔がトカゲなので「こいつは男性なのか?そもそも人間なのか?」という疑問に始まり、あるいは「この記事の主旨は人外フェチという特殊な性的嗜好のカミングアウトなのか?」と思われる方もいるかもしれないが、一応カイマンも人間です。説明は面倒なので漫画を読んでほしい。二つとも面白いので。

何故この二人が好きかと言うと、答えは単純だ。圧倒的な「力」に魅かれている。まずでかい。でかくて強い。あと首が太い。筋肉すごい。あと強い。でかい男性に、その強さでもって守られたいという欲望がわたしの心の奥底に根を張っている。

最近ジェンダーレス男子などという言葉も生まれ、金を稼ぎ堂々として、短髪でマッチョな所謂「男らしさ」と結びつくマスキュリニティーを脱ぎ捨てた男性たちが誕生しつつあるようだ。それについては特に思う所がない、というか社会的な態度としては歓迎なのだが、単純な「タイプ」で言うとジェンダーレス男子は好みの正反対である。スキニーとか履いてほしくない。太いパンツを着ろ。手首を鍛えろ。りんごくらい素手で潰せ。筋骨隆々であれ。そう思っている。

その点、このガッツとカイマンは全くジェンダーを失っていない。全然レスじゃない。漫画の中では事あるごとに二人の圧倒的な強さや筋肉や暴力が、血しぶきや生首や内臓と共に描かれる。男の真のアクセサリーとは、高級腕時計でもピカピカに磨かれた革靴でも、仕立ての良いオーダーメイドのスーツなどでもなく、敵の血しぶき、生首、内臓である。

男性向けファッション誌の表紙には「今年の冬は『ウール』でタフに品よくキメる」などと書かれているが、こんなもん「やかましい」の一言だ。男が生地の素材を気にするな。何がタフだ。男たるもの、素材を気にする場合は「この生地は刀や矢を通しやすいか」「敵からの火炎攻撃に耐えうる難燃性はあるか」という点にのみ意識を向けろ。素材名は知らなくて良い。「なんか燃えにくいやつで頼む」と注文してほしい。「ウール?何それ?ああ、羊毛か。じゃあ、最初っからそう言えよ」、そして背中に担いだ剣で店主を斬り殺す。

いや、さすがに二人ともこんなことで人を殺す男ではなかった気がする。妄想が肥大している。ここまでディスコミュニケーションだとデート中えらいことになってしまう。

というか、どこぞのヒロインよろしく「守られたい」などと上述しているが、日本国籍中流家庭出身の平民であるわたしが護衛されるべき脅威など無い。そもそも、文明と秩序が発達した日本社会で腕っぷしの強さを生かす機会などあるのか。いまわたしが守られたいものの対象というと、「所得税」とか「国民年金」、あとは「老後への不安」とかか。急に俗世的。この場合有効なのは剣の腕じゃなくて事務処理能力の高さとか節税の知識とか、堅実な積み立て貯金プランとかになってくる。でかさも強さも関係ない。

まあ、痴漢とか酔っ払いに絡まれる脅威に対しては多少有効かもしれない。でもこの場合、上の二人は完全に絡んできた相手を殺す。絶対殺す。なんせ「いのちはたいせつ」「いのちはびょうどう」といった社会的道徳と最も離れたところにある二人なので。

渋谷にて斬り捨てられた酔っ払いの血しぶきに濡れた服を引っ張って「もういいよぉ、行こうよお」と泣きべそかいている自分の姿が浮かぶ。そして「うぜえ」の一言でわたしも斬り捨てられる。こんなもんデートでなく冥土。なんにも楽しくない。

単純にでかくて強ければいいならプロレスラーやボクサーでいいのでは、と思うが、このへんものすごく面倒くさいところで、「強くなる/筋肉をつける」ことを目標として努力しているのは萎えちゃうのである。ちょい違うのである。要するに、敵からの襲撃や戦いから自分の身を守るための「必要に迫られた」、殺らなきゃ殺られる世界観の結果身に着いた筋肉や強さに魅かれるのであり、そこにジムや人間工学に基づいたトレーニングや食事制限が挟まると途端に「ん~ちがう」となる。

なのでわたしは「俺鍛えてんだ」といって二の腕とかを触らせてくる男はとても嫌いである。こういう手合いは同じ口で「いま減量中だから炭水化物避けてんの」とか言ってくるからタチが悪い。見栄えの良い筋肉のためにみみっちく鶏のササミ食うって本末転倒ではないか。筋肉は「目的」ではなく「手段」だろうが! 男がカロリーやらタンパク質やらを気にするな! 目の前にあるものを手づかみで食え! そう思っている。ただ、同時に「さすがにガッツやカイマンも栄養くらいは気にしてるだろうし、フォークくらい使うだろ」と思う冷静な自分もいる。理想のタイプが「強さ」とか「でかさ」とかではなく単なる筋肉妖怪に近づいていってはいないか。

こういうわけで、結局「異性のタイプ」に対する回答は固まらないまま。わたしの居酒屋でのマゴマゴは続く。余談だが、顔のタイプだけで言うとお笑い芸人の「麒麟」の川島がド真ん中で好き。川島の顔に2メートル越えのマッチョな肉体がつくと文句無いです。ついでに役所関係の手続きに明るいと嬉しい。なんせわたしの現状の敵は「年末調整」とか「源泉徴収票絡みのウンタラ」とかなので。

スプラトゥーンが下手な幽霊の話

友人の家に幽霊がいるらしい。

話というのはこうだ。男は数日間、家を空けて旅行に行っていた。もちろんその間、男の家には誰もいないはずである。にも関わらず、ゲームの『スプラトゥーン』のログイン記録と対戦記録が残っていたらしい。わたしはスプラトゥーンはやったことが無いので詳しいところは分からないが、ゲームをつけっぱなしで家を出たとか、そのせいで勝手に試合に入ってしまったとかは起こり得ないようだし、しかも何戦かした記録があったそうだ。要するに何かのはずみという話では説明できない現象が起きたようだ。

「俺んちなんかいるっぽいんだよ…」

不安げな面持ちでそう呟いていた。幽霊が怖いようである。しかし話を聞いているこちらとしてはいまいち世界観に入り込めない感は否めない。そもそも電子機器が絡むと「何かのバグなんちゃう?」と思ってしまうし、よしんば本当に幽霊だったところで、ゲームする幽霊って別に怖くないし。怖くなくないですか?ゲームする幽霊。しかもスプラトゥーン。ただのミーハーゲーマーである。ワンパンで勝てる。どうせ家いないんだしゲームくらいやらしてやりゃいいじゃん減るもんでもなし。なぜだか男を咎め始める。幽霊に勝手にゲームされてる被害者のはずなのに。

「いやでも実害あるんだよ」

「なに?呪いとか?」

「0キルだから対戦レート下がんだよ」

雑魚やん、とも思う。下手の横好きのゲーマー幽霊やん、と。というかしっかり戦歴を見るあたり目の前にいる男もゲーマーの血に負けてしまっている。「対戦レート下がるのほんとやなんだよ…」と碇ゲンドウのポーズで言っていた。気にするところが幽霊の存在如何ではなくレートな時点でコミカルさが生じる。怖い話好きのわたしとしては好ましくない流れ。

「他にエピソードないの」

軌道修正を図るべく煽ってみた。こっちは雑魚ゲーマーの話ではなく、怖い話が聞きたいのだ!

「あるんだよそれが…」男は話し出した。

男の友人が自分の家に遊びに来た時、ドア越しに人が動く気配や、何やらうめき声のようなものが聞こえた。その友人は男が在宅なのかと思ったが、どうもそんな様子ではない。気持ち悪くなった友人は男の家を後にし、その体験を男に伝えた…。

良い感じの話になってきた。ベタな感じもするが、物語の始まりはクリシェ進行で構わないのだ。あとから盛り上がればそれでいい。などと男の不安をよそに考えていたが、やはりゾクゾクしない。だって家にいんの、雑魚ゲーマーの幽霊なんでしょ。うめき声だって、そら何戦もしてるのに0キルじゃ出したくもなるだろう。人が動く気配も、中でコントローラーぶん投げてんだろ。コントローラー1キルしてんだろ。そんなことを考えてしまう。

わたしの中で幽霊のイメージが完全に固定されてしまった。大学生、男、身長は高めでガリガリ。家からあまり出ないので肌が白い。サイズの合わないTシャツとチノパンの組み合わせが絶妙にダサい。夜通しプレイしたスプラトゥーンで1キルも出来ず、気分転換にコンビニに向かう最中に事故死。1キルもできなかった無念が男を現し世に拘束し、怨霊となった男は夜な夜な人の家でスプラトゥーンを起動する…。

バカじゃねえのか、と思う。目の前に幽霊がいたら説教してやりたい。「才能ないんだからもうスプラトゥーンは諦めて、すごろくとかにしなよ」きっとそう言う。

「でも俺はスプラトゥーンでキルを獲りたいんだ…」

幽霊は言うが、引きこもりがちなゲーマーなので声が小さくてイライラする。そんなだからキル取れないんじゃね、と言いながらタバコに火をつける。紫煙が幽霊を通り抜けて天井に溜まっていく。

大体、1キルも出来ない雑魚が「獲」という字を使うな、という部分に腹が立っているので話はそちらに脱線する。

「いっつも形から入ろうとするやん。「獲」の字もそうだし、無人の家でゲーム戦歴残して幽霊っぽいことしてみたり、でもそのくせに詰めが甘いからキルも取れないし幽霊なのにいまいち怖くないんだよ!」

説教に熱が入ってくる。タバコも二箱目に突入。幽霊はくやしさで膝の上に固く拳を握りしめプルプルさせているが、その履いているパンツもサイズが合っていなくてダサい。

「じゃあもういいから勝てるまでやっときなよ」

そう言ってスプラトゥーンを投げよこす。話に飽きたので寝たくなったのだ。幽霊は画面にかじりついて必死にコントローラーを操作している。わたしはうつらうつらとしながら、ゲームをする幽霊の姿を見て「あ…コントローラーと一緒に身体も動いちゃうタイプの下手な奴や…」と思いながら眠りにつく。

翌朝、幽霊の姿はなく、点けっぱなしのテレビとコントローラーだけが残されている。戦歴を見てみると、数多もの敗戦記録のいちばん上に「1キル」の戦歴がぽつんと残されている。「ああ、ちゃんと逝けたんだな…」コントローラーには、まだ体温が残っている気がして、わたしはそれが寂しさに変わってしまう前にコントローラーをそっと机に置いた。

以上、妄想でした。まだ0キルから更新されていないようなのでこの幽霊は成仏できていないと思います。

ゲームといえば、昔付き合っていた恋人の家にPS2と初代バイオハザードのソフトがあったのでよくやっていたのだが、故障なのかセーブができなかったので、いつも途中でやめて、また最初から初めて、というのを繰り返していた。

ある時、いい加減最後までやりたい!と思い立った。しかし当然セーブができないのでノーミスでクリアするしかないのだが、何回も何回も最初の館から初めて登場する振り向きゾンビの顔を強制的に拝まされていたわたしはゾンビへのヘイトが溜まりに溜まっていたので「セーブなんかいらんわあんな秒速10センチのゾンビ倒すのなんか」という舐め腐った態度で、0セーブ耐久バイオハザードレースはスタートした。

結果として、クリアはできた。一度も死なずにラスボスまでを滅することができたのである。夕方の6時ごろ初めて、翌朝の8時くらいまでかかった。死ぬとまた最初からなので、シナリオが進み難易度が上がる終わりに近づくにつれ、わたしの「死んだら終わり」という緊張度も比例して上がっていく。ラスボスを倒してエンディングを観たときは疲労のピークだった。

寝る前にコンビニで軽食でも買おうと立ち上がった。その時に、極自然な思考で「あ、銃ないわ。まあコンビニまで行く途中で拾えるか」と考えた。これには本当にビビった。極度の緊張の中、12時間ぶっ続けでゲームをすると人間の頭はおかしくなるのである。

もしラスボスとかで殺されてたら、わたしも脳の血管がブチ切れて死んでいたと思う。そして確実に幽霊になった。初代バイオのラスボスまで到達するとゲームの電源を切る幽霊。スプラトゥーンの彼と負けず劣らずのバカである。

死にたくなった時こそ観るべき!【元気が出すぎて死にたくなる!】おすすめ映画10選

三連休に代休をくっつけて四連休にした。

四連休、素晴らしい響きである。何でも出来る。どこへでも行ける。そんな気分だった。週始めから連休だけを楽しみに生きてきた。

が、いざ連休に入ると何もできなかった。木曜日、仕事終わりに同期と飲み、終電前に解散して家に帰った。そして土曜日の午後15時にベッドから出た。金曜日が消えている。貴重な連休の記念すべき一日目の記憶がない。ひたすら寝ていた。意味が分からない。

土曜日、夕方からようやくのそのそと起きだし部屋の掃除をして、何か月ぶりかに風呂に湯を溜めてゆっくりと入浴しながら本を読み、映画を観た。『マイインターン』という映画だった。登場人物に悪人がいないタイプの優しい映画。元気が出る映画を選抜したつもりが余計に胸が潰れる。世界が違いすぎて感情移入が出来ない。フィルマークスで★3.3とだけ記録し、酒を飲んで寝る。

日曜日、目黒の寄生虫博物館に行く約束をしていたので、昼前に起きて用意をしていた。そしてふと思う。四連休、初めての外出が寄生虫博物館で良いのだろうか。こんなもん連休最終日に通り魔やる奴のスケジュールである。奇しくも土曜日に風呂で読んでいた『ジェノサイド』という本が、ウイルスだか寄生虫だかに関係する話だったのだが、もはやバイオテロのシミュレーションでしかない。逮捕されたあとにカメラに抜かれる用の本。結局予定が変わって寄生虫博物館には行かなかったので、通り魔にならずに済んだ。

月曜日、市役所に行って一日が潰れた。家に帰って酒を飲みながら『横道世之介』という映画を観始めたが、画面に映し出される青春劇に胸が潰れて、途中で断念した。『マイインターン』事件から学びの無いチョイス。

「凹んだ時は、優しい映画を観て元気を出します!」とか言うてるそこらのガソリンの味を知らないバカタレの話を鵜呑みにしていると日本の自殺率は増える一方。もう誰にもわたしと同じ轍を踏んでほしくない。大体こっちのメンタルぐっちゃぐちゃな時に優しい世界見て誰が癒されるんですか。「は?こんな優しい世界がある傍ら、自分は一体なぜ…」という鬱疑問符しかわかん。頭上に浮かんだクエスチョンマークも二秒後に首吊っとるわ。プール一杯の汚泥にちょろっと塩素放り込んだところで水質改善がされますか。むしろ適応して何とかかんとかその環境で生きてた魚も塩素のカス食べて死ぬわ。

と、いうわけで!

齢26歳にして視聴映画本数1000を超えるわたしが心からおススメできる、【死にたくなった時はこれを観ろ!】元気が出る映画番付TOP10!!!!!!!!!!!!!!大・放・出!!!!!!!!!!!!!!!

病める時も健やかなる時も肌荒れなる時もいとおかしなる時もフラれた時もフッた時も痩せる時も太る時もシケモク吸う時も、TSUTAYA(今はアマプラ)に金を落とし続けてきたわたしの映画備忘録から、「死にたい…」ではなく「とりあえずロープで!」と言わんばかりの、鬱を超えて足摺岬をポジティブに捉えだした人をターゲットに、自信を持ってお勧めする映画10作品を以下に公表致します。

10位.『隣人は静かに笑う』

冒頭、ハートウォーミング映画に似つかわしく、主人公マイケルが、手から血を流しながら道を歩く少年を助けるシーンから始まる一本。実はその少年、マイケルのお隣さんの息子だった!自分の息子とも意気投合し、家族ぐるみのお付き合いがスタート!実はマイケル、大学でテロリスト研究とかもやっちゃってる知識人!おやおや、最近なにやら隣人の様子がおかしいぞ…まさかテロを企む悪人…なーんてこと!ちょっぴり早とちりな頭でっかち中年主人公が謎めいた隣人に振り回されつつ、正義を信じてガンバル中年ドタバタ・コメディ。

元気が出る度 ★★★☆☆
励まされる度 ★★☆☆☆

9位.『アメリカン・ビューティー

広告代理店に勤める主人公レスターは、妻と娘と三人暮らし。妻は見栄っ張りで稼ぎの無い自分に冷たいし、娘も反抗期真っ盛り。不幸でもないけど張り合いの無い毎日に、突然天使が舞い降りた!でも実はその天使、娘の友達で…許されない恋を目前にしたレスターの恋模様と家族の行方は!?老若男女に愛される、スパイス一振りのラブ・ロマンス・ストーリー。

ドキドキする度 ★★★★☆
家族愛すてき度 ★★★★★

8位.『ノーマンズ・ランド』

ユーゴスラビア紛争時、ボスニア兵とセルビア兵が身動きの取れない状態で塹壕内に取り残されてしまった!しかも二人の真ん中には、動くと爆発する地雷に乗っかっちゃった間抜けな兵士も一人…にらみ合いが続くが次第に二人は打ち解け始め…?戦時下の愛と友情を鮮烈に描き出した感涙必至の反戦映画。

ハラハラ度 ★★★★★
泣ける度  ★★★☆☆

7位.『害虫』

中学一年生のサチコは、家でも学校でも浮きがちな不思議ちゃん。学校の先生に恋心を抱きながら、ある日出会ったタカオという男の子と仲良くなり、逢瀬を重ねる毎日。廃工場に住む変なおじさんやタカオとつるみながら、サチコは自分の居場所を見つけていく——。切なくも心あたたまる、青年期の揺れ動く気持ちを見事に描き切った名作。

せつない度 ★★★★☆
青春度   ★★★★☆

6位.『縞模様のパジャマの少年』

ナチス政権下、将校を父親に持つ少年ブルーノ。引っ越しした家の側にある森を抜けるとそこはユダヤ人収容所でした。そしてある時ブルーノは鉄条網越しに、縞模様のパジャマを着た少年と出会い…差別や迫害を象徴する鉄条網を挟み、友情を深めていく二人の健気な少年の未来とは。重いテーマを主題にしながら、人類愛を追求してやまない監督の意欲作。

考えさせられる度 ★★★★★
応援したい度   ★★★★☆

5位.『レクイエム・フォー・ドリーム

舞台はニューヨーク!変わり映えの無い日々に退屈したフツーの大学生四人組。良いクルマが欲しい…恋人のブランド立ち上げを手伝ってあげたい…向こう見ずで夢見がちな彼らが手を出したのは何とドラッグ販売だった!?ヤクをさばいて成り上がれ!ハチャメチャだけど何故か目が離せない四人組を追う、能天気ギャングスタ・サクセスストーリー!

笑える度  ★★★☆☆
反面教師度 ★★★★★

4位.『明日、君がいない』

午後2時37分、ある高校で誰かが命を絶つ――。映画『メメント』を彷彿とさせる、冒頭の「決定的なシーン」からバラバラの時系列で描かれる。色んなお悩みを抱える6人の高校生の日常にフォーカスした、笑いあり涙ありの親近感・学園ミステリーコメディ。19歳の監督が撮り切った処女作という点にもご注目!

頭を使う度 ★★★☆☆
羨ましい度 ★★☆☆☆

3位.『ファニー・ゲーム』

父・母・息子+犬で家族水入らずで訪れた湖畔の別荘にはちょっとおかしな先約がいた!そこで会ったが百年目!?ノンスタイル石田みたいな白い服でキメた凸凹コンビに振り回される家族の休日はど~なっちゃうの!?予測不可能な不条理・ドタバタコメディ、ここに爆誕

おフザケ度  ★★★★★
リラックス度 ★★☆☆☆

2位.『es』

アメリカのオクスフォード大学で実際に行われた「スタンフォード監獄実験」を基にした作品。看守・囚人と二役に分かれて一定期間過ごすとど~なるか?を描いたサイコ☆ドキュメンタリー。段々と偉そうになっていく看守役を前に、手も足も出ない囚人たち…悔しい!あいつら目にモノ見せてやる!窮地に追いやられた主人公たちの囚人生活やいかに!

わくわく度 ★★★★☆
勉強なる度 ★★★☆☆

1位.『ミスト』

息子とちょっと買い物に行っただけなのに…街は謎の濃霧とモンスターに侵略されていた!?巨大モンスターvs俺&息子と出会った仲間たちによるスーパーマーケット立てこもり大作戦!何やらみんなを煽動する怪しげな宗教クソババアにも翻弄される主人公たち。パパ、ぼくもう家に帰りたい!息子の切なる願いを叶えるために、パパが今、遂に立ち上がる!世の青年たちよ、帰宅部を極めたくばこれを観よ!

ハラハラ度 ★★★★★
おどろき度 ★★★★★

 

以上です!全て本当におススメです!酒とつまみと練炭を用意してから鑑賞してください。練炭はもちろんサンマを焼く用です。

「頑張らずにダイエット」←やかましいわ

さっき会社からの帰宅道中、電車で携帯見てたのよ。そしたらアプリの通知あるじゃないですか、あの上からシュッて出てきてスンッて戻っていく、ひょっこりはんみたいなやつ。毎回毎回「うざ」としか思わないんだけど設定変えるのもダルくて放置してるやつね。でも一応見ちゃうじゃないですか、内容。否応なく目に入るというか。

「やってるー?」みたいなノリで暖簾めくって「あ、満席だわ」って顔して去っていくサラリーマンとか居酒屋バイトは意外と気にかけてるでしょ。あ、まだ奥に席空いてますよお客さまー!みたいな。まあそれはどうでもいいんですけども。

そん時出てきたのが「C CHANNEL」という若年女性向けのキュレーションメディアアプリの動画ニュースだったんだけど、見出し文句が

【頑張らずにダイエット!!】痩せている子がやっている1日のルール!!

だったわけですよ。初めて太字機能使ったわブログで。二度と使わん。

いやもうシンプルに「はあ?」ですよね。お前何をゆうとんねんと。

まずそもそも「頑張らずに」と「ダイエット」て言葉が矛盾してるし。頑張らずにダイエットできてたらアメリカ肥満大国になっとらんわと。ほんまにそう思うなら製作者が責任持ってその動画引っ提げてアメリカ行ってこい。「頑張らずにダイエットする方法あるのわー!」つって国家的課題のソリューション掲示してきて欲しい。その覚悟と矜持を持ってコンテンツを作っているのか? そう問いたい。

何でこんなに逆鱗に触れてるかと言うと単純に最近太ったのよ。なんか最近ブスだなー太った気するなーと思って体重計乗ったら3キロ増えてた。そんで焦って痩せなきゃと思うわけだけど、そんな簡単に痩せられないからこれだけ世にはダイエット本やらダイエット食品やらが溢れてるわけであってね? それを差し置いて「頑張らずにダイエット!!」てなめとんかって話になるでしょ。

なので小論文レベルで怒りを以下書き散らそうと思います。引き続きよろしくお願い申し上げます。

ダイエットって本来の語源としては「生き方」とか「より健康で美しい体作り」を意味する言葉なんですよ。そこから肥満に端を発する病気や不便に対する「食事療法」とか「節制」に意味が転じて、現代は「痩せる」って意味だけが残ってしまった状況なんですよね。

だから最初「もしかして語源でいうダイエットのことか?」と思った。それならまだ分かる。無理ない節制、生き方、是非哲学的に説いてほしい。でも違うよねすぐ後ろに「痩せている子」って書いてんだもん0.2秒で分かったわ。むっちゃ現代的思考だわ。

こちとら痩せたいけど中々そうもいかないわけですよ。でもせめて「朝ごはんはサラダで済まそ」と思って毎朝毎朝オフィスの下のコンビニで「蒸し鶏と卵の野菜うんたらサラダ」を買ってデスクでモソモソモソモソ食べてるわけですわ。ゴマ焙煎ドレッシングで。ドレッシング無かったらそこらへんの牛や馬と変わらん食生活ですよ。あーわたしって人間じゃなくてリッチめな牛馬だったんだわ~て毎朝思ってるわ。

しかも300円くらいすんのに90キロカロリーくらいしか無いし。それが良いから買ってるんだけど腹落ちしない感覚はありますよね「300円出してエネルギー90って意味わかんなくない?」って思うもん。意味わかんなくない?

で、一応その動画をちゃんと観たわけです。内容を知らずに批判するのは道理に適ってないし。以下その内容です。

  • 寝起きに白湯を飲む
  • 朝にストレッチをする
  • 朝に足指マッサージをする
  • 朝食に酵素を取り入れる

アホか? と。この内容でよー【頑張らずにダイエット!!】てエクスクラメーションマーク二つも付けたなと。むちゃむちゃ頑張っとるやんけ。大体「ルール」って付いてる時点で課してるやん、自己に、責務を。

「頑張らない」の意味を履き違えている。こちらが求めているのは「毎日不規則かつ不摂生な生活を送り12時まで酒とつまみを摂取してそのまま帰宅就寝しても何等かの奇跡的効能が働いて痩せる」というものであって白湯だの酵素だの出た時点で「はあ?」となる。そもそも酵素ってなんやねん。

誰が「わたし朝起きてまず白湯飲んでストレッチからの足指マッサージして朝食には酵素取り入れてんのー」て奴に「へえ無理のないダイエットしてるねえ」って言うねん。学研ゼミか。

ていうかこのライター(動画メディアだけどプロデュースしてるのは基本ライターだと思うので以下ライターと記載)は朝の時間の貴重さを分かっているのか? 毎朝このルーチンをこなせる人っていらっしゃるの? 「早起きしたらいいやん」て言われてもこちとら毎朝6時前に起きてるわしばくぞ、となる。

何故この動画記事のライターはこんな矛盾溢れるコンテンツを作るに至ったのか? 以下はこの疑念について考察していく。

 1.読者を騙そうとしている

あり得ない。これはライターとして失格なので除外。人に情報を伝える側の人間としてモラルを失った人間はいないはず。

 2.心から「頑張っていない」と思っている

上記の「朝に白湯を飲む」「ストレッチをする」「酵素を取り入れる」等に関して、心から「普通にできるレベルのもの」と思っているライターを想定。

恐らくこの場合、ライターは毎朝4時に起きて皇居周りをジョギングした後に会員制スポーツジムに行ってもう一汗流し、サウナと風呂を経由したあとにバッチリ決めて出社する完璧人間タイプ。周囲の人間の無能さが理解できず「どうしてこんなことも出来ないでおじゃる?」と平安貴族的な口調でドン詰めするタイプ。ちなみに平成貴族のイメージはおじゃる丸参照。

3. 悲しい過去を持つライター

心の清い、健康な人間であった。現代の病理的風潮である「痩せていることが美しい」という価値観に殺戮されたうちの一人の女がいた。女は別段醜いわけでも美しいわけでも無かったが、女は常にどうも説明できない劣等感と居た堪れなさをひしひしと感じていた。女は言う。

「最近太っちゃったの」

女の友人が言う。

「へえ、それは最悪だね。それで、どうしてんの?」

「朝起きて、あったかいお湯を飲んだり、身体をほぐして血行を良くしたりして、頑張ってはいるの」

女の友人は軽蔑を口の端に張り付けて投げ捨てるように女に語り掛ける。

「そんなことしかしてないんだ」

「そんなの頑張ってるとは言わないよ」

「誰だって当たり前にやってることじゃない」

こんな奴は友達じゃないので付き合うのを辞めた方が良い。単純にそう思う。

まあ、普通に考えると①だと思います。

ビジネスだしね分かる分かる~って感じ。Amazonの「期待を込めて星5です!」的な他者評価ね。

まあなんでもいいんじゃないでしょうか。

めんどくさくなってきたし酔いたいのでもうやめます。

でも二度と「頑張らずにダイエット」なんて言葉が世界で使われないことを祈ります。

名を二つ持つ男と付き合っていた話

最近色々と悩みが多い。悩むというのは自分の向かうべき方向が分からなくなることに近い。つまるところ思考が迷子になっているのである。悩んでいない時は前、つまり未来を向いた思考が出来るが、悩んでいる時はそれが出来なくなる。問題を抱えている時、寝る前に過去のどうでも良い失敗やとりとめのない記憶が次から次へと思い出されるのは、思考のベクトルが四方の時間軸に拡散しているからだ。

昨日寝る前、例に漏れず過去に経験したさまざまな事象とそれに伴う情動の再現がわたしの脳みそを支配していた。何故か初めて付き合った元カレのことを妙に思い出していた。

といっても、別に情緒的な思い出し方ではない。なぜならこの元カレ、わたしのその後の長いダメンズウォーカー史の航海の始まりに相応しい、ド・くそofダメンズだったからだ。

他の元カレも数々の伝説的ダメンズエピソードには事欠かないが、やっぱり何だかんだインパクト的にはこいつに軍配が揚がるんじゃないか。

もはや飲み会の持ちネタと化しているが、まず半年間偽名を使われていた。もう関わりも無いし珍しい名前でも無いので書いてしまうが、偽名が「ひろと」で本名が「ゆうき」だった。カスりもしていない。意味が分からない。偽名を使われていた理由も未だに不明である。そして偽名が発覚した後もズルズルと二年以上付き合った自分が一番意味がわからない。ダメンズウォーカーの才能が開花した瞬間。そんな花一生開かんでいい。

当時はゆうきくんと呼んでいたので、便宜的にそう記述するが、わたしがゆうきくんと付き合ったのは高校一年の終わりごろだった。彼は24歳でトラックの運転手をしていた。出会いのきっかけは忘れた。

今ゆうきくんとのことを思い出して何よりも恐怖を感じるのは、彼の家族についてである。ゆうきくんは実家住まいだった。たまたまわたしの生家と近く、自転車で20分くらいの距離だったので、しょっちゅう家に遊びに行っていた。というか入り浸っていた。高校の時は親が厳しかったので、夜中に家を抜け出して会ったりしていたが、大学に入ってからはほぼ毎日家に上がり込んでいた。

ゆうきくんの両親は放任主義だったようだ。まあ、普通の親なら社会人の息子が高校生の女と交際していてしょっちゅう家に上げていたら注意くらいしそうなもんなので、当時のわたしが考えていたより緩い親だったんだろう。

しかしわたしはゆうきくんの両親が好きだった。事情は省くが、わたしは家と家族が大嫌いだったし、家族団らんや仲の良い会話など交わした経験も無かった。緊張せず、萎縮せず、緊迫感の無いコミュニケーションを家族と取るのが夢だった高校生のわたしにとって、ゆうきくんの親はそれを疑似体験させてくれる存在だった。仲も良かったと思う。ゆうきくんがいない時に家に行っても、一緒に晩御飯を食べて帰りを待っていたりした。

ここで彼の両親が怖いという話に戻るが、上述の話から分かるようにわたしは彼の親ともよく交流を持っていた。つまり、彼の親の前で偽名である「ひろと」という名前をしょっちゅう出していたのである。そらそうだ。どこの世界に彼氏に偽名使われている可能性を考慮して、両親の前で恋人の名前を出すのを避ける女子高生がいるというのか。

「ひろくん」と呼んでいた。ひろくんが偽名である事実を露程も知らぬ高校生のわたしは、無邪気に彼の親の前でも「ひろくんひろくん」と言っていた。そしてある日突然、本名である「ゆうきくん」と呼びだしたのである。

彼の親は一体わたしのことをどういう目で見ていたのか。息子に高校生の彼女が出来たようだが、この子ずっと息子の名前を勘違いしているわ…とでも思っていたのか。そしてある日「ようやくほんとの名前を覚えたのね!」と感動していたのだろうか。

んなわきゃあ無い。絶対何かしらの会話があったはずだ。「アンタ、あの子ずっとアンタのこと『ひろくん』て呼んでるけどどういうこと?」なのか、あるいはゆうきくんが「ごめん俺いま偽名使ってるから、てきとーに話合わせといて」にせよ。

どちらにせよ怖い。しかし、今よく当時のことを思い返してみると、わたしが「ひろくん」と呼んでいる時期には彼の両親はゆうきくんを名前で呼ばなかった。「あんた」とか「お前」と呼んでいた気がする。そしてわたしが「ゆうきくん」と呼びだすようになると、「ゆうき」と呼ぶようになった。

つまりゆうきくんの両親も、偽名事件に加担していた、というのが総合的に導き出される結論である。怖い。やばい。どんな家庭だ。わたしのダメンズウォーカーの才能開花と同時に、ゆうきくんの家族にもスパイ的な才覚が宿ったのか。なんか知らんけど、互いの能力が呼応し合う感じで。

そういうことをつらつらと思い出していた夜だった。

ちなみに、ゆうきくんと別れた後付き合ったのは近くの大学に通っていた同い年の男だったが、こいつは一週間友達とインドに旅行に行ったあと「インドに行って価値観が変わった」という理由でわたしを振った。

旅行に行く前は所謂アメカジ系のファッションだったのに、旅行から戻った男は麻で出来たダルッダルのパンツにTシャツを着て、腕や首には木でできたよく分からんアクセサリーを色々とつけていた。「ずいぶん染まって帰ってきたなあ」とは思ったが、まさか旅行がきっかけで振られるとは。しかも一週間の。

正直全く性格が合わず、別れるにしても一か月しか付き合ってないしなあ、と考えていた矢先だったので別に良かったんだが、さすがに理由が理由だったので印象に残っている。20年という人間の生きてきた歳月を、一週間で塗り替えるインドの底力の大きさに圧倒される。

そっこーで友達に言いふらした。その結果「インドに敗北した女」というあだ名がついた。これまでの二つ名の中で、最もスケールが大きいあだ名だった。未だ更新されていない。

これを超えるにはやっぱアメリカですかね。誰かわたしと付き合った後にアメリカ旅行に行って振ってください。そして東南アジアとUSAを股にかける女になるので。

頭の中に幼児を飼っている

脳内に幼児がいる。年齢は特に決まっていないけど、大体2~5歳くらいを行き来している気がする。いきなりどうした、と思う人もいるだろうが、別に何かの比喩でもなく文面そのままの意である。わたしの脳内には赤ん坊が棲む。

だってもう耐えらんない。お仕事しんどい。生きるってつらい。指先ひとつ動かせないレベルの満員電車の通勤がつらい。夢と能力が伴わなくてつらい。パンツのジッパー全開なの知らない人に指摘されてつらい。タクシーの運転手態度悪くてつらい。靴擦れ痛くてつらい。もうすぐクリスマスなのに恋人がいなくてつらい。冷蔵庫に酒しかなくてつらい。近所のコンビニがセブンイレブンじゃなくてつらい。ビールがぬるくてつらい。とにかくつらい。つらいつらいつらい。

そして赤ん坊を飼うことに決めた。赤ん坊の時は良かった。腹が減れば泣けば良い。栄養満点のミルクが出てくる。うんちしたら泣けば良い。やわらかなタオルで清潔にしてくれる。寂しければ泣けば良い。母の心臓の傍であたたかな腕に揺られることができる。

それが今はどうだ。腹減ったら自分で飯作るか金出して買わにゃならんし、うんちして人に拭かれるの待ってる奴は漏れなく狂人か変態だし、寂しくてもtinderにアクセスして「猫可愛いすね」「あざーす(笑)」みたいな水あめの包み紙より薄っぺらいコミュニケーションで気を紛らわすことしか出来ない。どうなってんだわたしの人生!

かくなる上は幼児退行である。残された術はこれしかない。最後の切り札が「幼児退行」な奴は一生何の主人公にもなれんだろうな、とも思うけれども。周りの仲間たちみーーんなやられてくたばってる時に

「”アレ”しかない…」

「ダメ!”アレ”を使ったらあなたは二度とこっちの世界に戻ってこれなくなる!」

とかゆうてる傍から「ほよよ~もういたいいたいのイヤなの~」つって戦闘放棄だしね。剣とか重い重いで持てないぽよ~つって。幼児の語尾は「ぽよ」じゃないと思うけどそんなことは知らん。実際こっちの世界にはもう戻ってこれませんよね逝っちゃってんだもん理性を司る何かしらの脳の回路。

ただ、このソリューション案外役に立っている。とりあえずつらい気持ちを全て脳内幼児にブン投げておけば良いのである。これだけ聞くと幼児虐待の空気が醸されてくるが、どうでもいい。そんなことは。

例えば上司に詰められた時。これまでは真正面から受け止めて「何て無能なんだ…」と悔悛した結果、一日に約10回の頻度でメンタルが地下に叩き落されていた。しかし今は一旦赤ん坊に投げておく。すると赤ん坊が泣く。「え~んおじちゃんがいぢわるするのぉ」と地べたでジタバタ始める。脳内で赤ん坊がジタバタしてるのを見ながら現実のわたしは「確かに思考の詰めが足りていませんでした、今後の課題として意識しつつ改善に勤めます」と真顔で答える。このあたりで赤ん坊が泣きやみ始めるので、「お~よちよちいじわるされたのちゅらかったね~」と脳内赤ん坊を脳内であやす。子ども泣き止み、心も晴れる。

例えば深夜まで残業が続いた時。これまでは「もう帰りたい…映画観ながら酒飲んで寝たい…」と叶わぬ夢想を抱えて自己を追い込んでいたが、これも一旦赤ん坊に投げておく。「もうちゅかれたあ~おうちかえりたい~」とグズり出す。心を鬼にして一度無視する。「わがまま言いなさんな!」と一喝する。赤ん坊が泣きだす。やはり無視。そして仕事が終わる頃、赤ん坊は拗ねてそっぽを向いている。わたしは後ろからそっと抱き上げ、「お待たせ。おうちかえろっか」と言う。赤ん坊はまあるい頬をもっと膨らませている。目線を合わさず、コクンと頷く姿につい笑みがこぼれる。カラスが鳴いた(あと狩りまで終えてひとっ風呂浴びて巣帰って寝てるくらいになった)ら、おうちに帰ろ。

日々のつらさはインナーチャイルド創出で大体解決できる。「何でこんなこと出来ないの?」と言われても「しょーがねーだろこっちは赤ちゃんなんだよ」と心の中でバブれば終了。

問題を挙げるとすれば、常に脳内で赤ん坊と会話しているせいで現実世界でも気を抜くと赤ちゃん言葉が出てしまうことだが、こちらは環境要因により問題にならず解決。

同期と話している時に「は~たばこ吸いたいでちゅね~」と極々自然に口をついて出たことがあったが、「たばこしゅいたいでちゅか~」と返されて終わった。特に突っ込みも無し。みんな心に赤ん坊を住まわせているんだなあ、と仲間意識をしみじみと感じながら、大人のおしゃぶりを吸いに喫煙所へと向かう。

この間知り合った30歳男性はベンチャーのスタートアップ企業に勤めており、例に漏れず忙しいそうだ。彼も幼児を頭に住まわせている。というかこの男性と二人で話している時はもはやインナーチャイルドですらなくセルフチャイルドの域に達している。

「乾杯~おつかれ~」

「今日も仕事ちゅかれたわ」

「まじオギャア」

そういう会話をよく交わす。午後10時、東京の居酒屋の片隅で赤ん坊が二人誕生。元気な産声。女の子と男の子ですよ~と産婆も微笑む。

「最近仕事どうなん」

「オギャりからのバブぽよマミーて感じ」

「オンギャみ~」

これでお互いの大体の近況を把握できる。ほんの一か月前あたりに初めて会った時はちゃんと人間の言葉で話せていたはずなので、言語野あたりが赤ん坊収納スペースに代替されてしまったんだろう。

つらい人は騙されたと思って試してみてください。赤ん坊は未来を照らす光ですから。

「ツイッターバズマシーン下乳」という新しい二つ名が誕生した経緯

男の友人をバイクの後ろに乗せて日帰りツーリングに行った。

帰宅後、一旦わたしの家に荷物を置いて飲みに繰り出そうとしていた折にラインが鳴った。大阪の友人からだった。

「これ黒ずみのことじゃない?」という文章と共にtwitter上のあるツイートのスクショが貼ってある。

内容としては以下のような感じだった。

今日女に突然「ツーリング行こう」と誘われたけど、バイクも免許も持ってないつったら「わたしの後ろだよ」と言われ家に迎えに来てもらい、タンデムで女の子に抱き着きながらツーリング行って今帰ってるんですが今夜抱かれんの?

バイクの後ろ自体初めてだったけど、友達が腹出しTシャツで現れたからバイク乗ってる間ずっと生のお腹とたまに下乳の感触を風と共に味わってたの新しいタイプのセックスかと思いました。

 下のツイートはともかく、上のツイートは確実にわたしのことだった。最初は単純に大阪の友人と、ツーリングに行った男がたまたま友達同士で繋がりがあったのかと思ったのだが、どうも違うらしい。

男に画面を見せて聞いてみた。

要約すると、男のtwitterアカウントは数千人のフォロワーを保有しているそうで、上記のツイートがバズったようだ。その結果、男とは何の繋がりもない大阪の友人のタイムライン上にリツイートか何かで表示され、文中の女がわたしなのでは、と気づいた友人が面白がって送ってきたというわけだ。

その時は「フォロワー数千人てやばくない?」という部分に驚いていたのと、早く焼肉を食べに行きたかったので大してその話題を掘り下げなかった。だが、家に一人になるとやはり気になるもんで件のツイートを見に行った。「何書いてんだこいつ」と思いながらツイートを読んでいると、その最中にもRTやライクの数が毎秒のように上昇する様子がスマホの画面に表示されていた。

この時点で若干恐怖を感じた。自分の手が及ばないところで、匿名ではあるものの自分という人間に言及している発言がネットの、しかもよく燃えるタイプのSNSで拡散され続けている。人間よりもダンゴムシとか苔に近いメンタル生態を持つわたしとしては、頂けない事態である。

と、思ったのだがよくよく考えてみるとわたしもこのブログで散々同期やら友人やらとの出来事を好き勝手に綴っているので、「同じ穴のムジナか…」と考え直した。そして寝た。

しかしまだ続きがある。数人の会社の同期からも「これお前だろ(笑)」と断定するメールが次々と届いたのだ。いやあみなさんさすがに情報のキャッチが早いですね~と感心しながら、別に隠すことでもないので「そうだよ」と返事をしていた。(w←これがいっぱいついた返事が来た)

それはいいのだが、ツイートの内容が内容なので絶対なんかイジられる、と身構えていたら案の定だった。

わたしが過去ブログでも紹介した我が社の王様

notgoodatlive.hatenablog.jp

に至っては、わたしを「下乳」と呼ぶようになった。久しぶりに会ったので「最近仕事が忙しくて大変だわ」と話すと「さすがの下乳もそれは厳しいな」と言っていた。「ツイッターバズマシーン下乳でも厳しいな」と。それにしてもこいつは人に失礼なあだ名しかつけられない病にでも罹患しているのか。

そんなにバズってんのか、と思いツイートを今一度見に行く。つぶやきにレスがいくつか付いていた。twitter民の間で勝手に「彼女」と認定されていたが、別に彼氏ではない。あと何故か「それは好きな男に彼女がいて、失恋のやけくそに付き合えってことですよね…?」と深刻なトーンで返事をしていた人もいたが、別にやけくそでもない。このリプライに至ってはどこからその発想が出てきたのか分からなさすぎる。その想像力は別分野で活かした方が良い。

そういうことがあって、ほぼ仕返しのような心づもりでこのブログを書いている。男はわたしのブログを知らないが、お互い様だし良いでしょう。

男はtwitter上では上述のように書いているが、恐らくどの程度わたしの身体をホールドして良いか躊躇があり、若干腕をわたしの身体から浮かしていた。普通に危ないのでしっかりホールドさせたけれど、当然ながら新しいタイプのセックスではない。もちろん抱いてもいない。そして男とは今週末また焼肉を食べに行く。こいつどんだけ焼肉好きなんだ、とお互いが思っている。ちなみにわたしは今日も焼肉を食べに行く予定がある。焼肉は大好物である。

とりあえず、ツイッター弁慶とブログ弁慶のネット上での殴り合いは、ただただ「不毛」の一言に尽きる。世界ピンフ(平和)を目指したい。

会話に向かない喫茶店

先日、男性と銀座の喫茶店に行った。その時の話をしたい。

店内にはほぼ全ての喫茶店がそうであるように、音楽BGMが流れていた。それは良い。程よい騒音は、人の心を落ち着かせる。沈黙が続いても、耳が暇しない。だが、この店は選曲が妙だった。

ジャンルで言うとクラシック音楽だったのだが、オーケストラが演奏するタイプの曲ばかりが流れていた。普通喫茶店のBGMなら、極力絞った音量でピアノ独奏か精々カルテットを流すくらいのレベル感が主だと思うのだが、オーケストラである。音の全部乗せ。管楽器も弦楽器も金管楽器も入る。しかも音量もまあまあ大きかった。つまるところうるさかったのである。

その日は雨が降っていた。奥の出窓に面した席に通されたわたしたちは、窓から雨が降る銀座の様子を眺めながら「雨ですねえ」「雨だねえ」と情報量を増やさないスタンスで会話をしていた。その後ろでオーケストラが始まる。ビバルディの「四季」とかが流れ出す。

会話が止まる。「あれもう舞踏会の時間だっけ?」みたいな気分になる。当たり前だがここは平成の日本の銀座なので舞踏会は始まらない。しかし普段クラシック音楽に馴染みの無い平民の日常に、まあまあの音量でクラシック音楽が介入してくるととにかくソワソワするのである。

しかもクラシック音楽というのはストーリー性を持っている。wikipediaで「四季」を調べてみるとこんな風に説明されている。

協奏曲第1番ホ長調RV 269「春」(La Primavera)

第1楽章 アレグロ
春がやってきた、小鳥は喜び囀りながら祝っている。小川のせせらぎ、風が優しく撫でる。春を告げる雷が轟音を立て黒い雲が空を覆う、そして嵐は去り小鳥は素晴らしい声で歌う。鳥の声をソロヴァイオリンが高らかにそして華やかにうたいあげる。
第2楽章 ラルゴ
牧草地に花は咲き乱れ、空に伸びた枝の茂った葉はガサガサ音を立てる。羊飼は眠り、忠実な猟犬は(私の)そばにいる。弦楽器の静かな旋律にソロヴァイオリンがのどかなメロディを奏でる。ヴィオラの低いCis音が吠える犬を表現している。

 物語性が富みすぎている。(私の)って唐突に出てきているがお前誰やねんという疑問も残る。物語に勝つにはそれを超える物語でもって対抗するのが一番だが、いかんせん「雨ですね」「雨だねえ」の応酬である。勝てるもくそも内容がない。「雨が降っている、以上終わり」という話を病院食の塩分並みに薄めに薄めて30分語っている。しかも「雨⊂四季」という図式が成立する時点で負け戦なんじゃないのか。親には勝てん、という子供心が生まれる。

そういうわけで、音楽に意識を取られて全く話に集中できなかった。濃度が薄いものが濃い方に流れていく、というのは理科で習った細胞浸透圧だけでなく意識レベルでもそうらしい。

気を取り直して別の話題に移っても、無駄な抵抗だった。「わたしの友人に意識高い奴がいましてねえ」と話を始めるそばから、曲調が不穏な雰囲気に変わったりすると、もうだめだった。「先日我慢ならなくて殺してしまったんですよ」と火曜サスペンス風にオチをつけないといけないんじゃないかと強迫観念に駆られる。

男性が話している途中に「天国と地獄」(運動会のかけっこの時に絶対流れるアレ)がかかった時は、もう完全に運動会に意識が引っ張られていた。話に登場する人物がかけっこしている図しか思い浮かばない。うんうんそれで結局誰が一等賞なの?そればかりが気にかかる。

ネスカフェのCMでよく使われていた「ダバダ~(曲名不明)」というアレも流れていた。男性は「この曲ってやっぱりコーヒーに合う曲なのかなあ」と言っていたが、これは本当に意味が分からなかった。コーヒーに合う曲と思うのは、コーヒーのイメージと共に長いことCMで使われてきたからこそ、コーヒー=ダバダ(曲名不明)の刷り込みが我々日本人にあるのであって、別にこの曲がコーヒーに合うわけではないのではないか。そんなことを言った。「そうだねえ」と返された。ものの二分でひと話題が終了。生まれた沈黙は、ダバダ(曲名不明)が埋めてくれた。

結局、カフェを出てHUBに移動した。コーヒーをビールに持ち替えた。店内はうるさかったが会話は弾んだ。

まあその時も「雨ですね」「雨だねえ」レベルの会話だったのだが、「雨っすね!」「雨だわ~!」くらいのテンションには持ち直した。

結論:酒のちからはすごい。

失言と手足のバタバタとわたし

わたしは失言が多い。特に酒を飲むとその傾向が強い。

まだ大阪に住んでいた頃、長年通い詰めていたバーで飲んでいた時のことだ。バーのマスターと、客はわたししかいなかったので二人で話していた。マスターが旅行に行ったそうで、話を聞いていた。他愛のない会話が続いて、ひと息つくと、マスターがカウンターの下から、棒つきのアメが何本か入った可愛いらしいプラスチックのケースを取り出して、わたしに手渡した。

わたしは即座に「あ、かわいい。でもこういうアメって中々食べなくて知らんうちにグニャグニャになって歯に張り付きますよねえ」と言った。

「あ、ごめん、これ旅行のお土産」とマスターは言った。

まあ、そらそうだ。旅行の話して、手ごろな感じのアメのケースが出てきたら誰だって「あ、お土産かな」と思うだろう。わたしも普段ならそう察知してお礼の言葉でも考えているはずだ。ただその時は、頭に浮かんだ「アメ=溶けてグニャグニャ」の図式がわたしの声帯を震わせた。

わたしは少し焦りながら、挽回を図ろうとした。

「そうですよねえ。多分このアメは溶けても歯に張り付かない優秀なアメなんでしょうね」

ちがうな、と思った。失言の動揺を隠そうとして、ことさら理性的に取り繕うとした結果わけの分からない褒め方になった。溶ける前に食えよ、というツッコミもある。第一、人から何か貰ったらまず礼を言うのが作法というものだろう。

「あっありがとうございます。ちがうんですよ、食べますけど、普段あんまりアメ食べないんで!」

ここまで来ると挽回は不可能である。ドツボにはまっている。いらねえもん貰っちまった、というニュアンスも登場。このあたりから顔は冷静だが手足がちょっとバタつき始める。伝えるべきメッセージ不在の身振り手振りが加わる。頭より身体を動かして何とかしようとする、理性動物としての人間の風上にもおけない行為。意味の無いカロリー消費。

他にも、一人で飲んでいる時に話しかけてきた男との会話でも失態を犯した。当時のわたしは大学院生で、就職活動が終わった直後くらいだったと思う。就職業界の話になり、どうして広告業界を選んだのか、と聞かれた。

「女の子なら商社とか金融に行きたいもんじゃないの?」

「あー絶対いやですね。クソつまんなさそう」とわたしは答えた。

男は銀行員だった。先回りして失言をかました。置き失言。じわっと背中に嫌な汗をかくのが分かる。ただ、この時は「女の子なら」と決めつける発言に少しㇺッとしたのと、若干会話が面倒になっていたので、「銀行員ですか。素晴らしい職業ですね」と投げやりな褒め方で茶を濁した。足とかも組んでいた。

先日飲んでいる時は、相手の昔話の中で「高校生の頃は派手な友達と遊びまわっていて、金髪だった」という情報が出た。現在のイメージと全く違っていたので、写真があれば見せてほしいと前のめりで頼んでみた。

「そういう人好きなの?」

「いや全然!」

元気いっぱいに人の過去を全否定。この時はあからさまに手足がバタバタした。「いや」と「全然」という、否定に否定を掛け合わせる荒業も登場。精一杯手足をバタバタさせて挽回を図るが、テーブルに置かれた七輪の煙が揺れただけだった。

定期的にこういう失言をやらかしては、手足を活動させている。三つ子の魂百まで、というからにはこの悪癖との付き合い方を考えていきたい。せめて、この手足のバタつきを何かに活用できないものか。

水泳選手にでもなればいいんじゃないか。飛び込む直前に、失言をかまし、手足のバタバタで史上記録を出す。

コーチが試合を前に緊張しているわたしの両肩を抱き、わたしの目を見据えて言う。

「頑張ってこい!これまでのお前の努力を信じろ」

「うわクチくさ」

そしてプールに飛び込む。

多分ですが、こんなやつは溺れた方が良いと思います。