人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

助走がなくても人は飛べる

ブログを始めた。

始めたといってもやる気は全然ない。この記事すら最後まで書けるか分からない。むしろ人間というものはこんなにやる気が無いのに何かを始められるんだ、という素直な発見があった。

でも一応続けていきたいので、やる気が皆無なのは良い兆候だと思う。わたしは「継続」というものは「やるぞおおお!うおおおお!」というテンションでは絶対に続かないと思っている。このテンションで何かを継続できるという人がいるならば、その人の中には松岡修三が住んでいる。

ブログタイトルは適当につけた。自分の半径三メートルの出来事しか書かないつもりなので、まず自分を起点に「わたしとはなんだろう」と考えてみた。

「黒と白の服しか持ってない」とか「写真写りが悪い」とか「太るとまず顔に肉がつく」などの短絡的かつ物質的なものしか思い浮かばなかったので、もう少し俯瞰的に「わたしの生き方とはなんだろう」と考えた。「生きるのがへた」という言葉が浮かんだのでこれでいいや、と一瞬決まりかけたけど、次に「生きるとはなんだろう」という疑問が浮かんだ。

だって生きるつっても色々あるし。植物や動物や微生物も生きてるし。でもさすがにミジンコの「生きる」と人間としての「生きる」を同列に捉えたくない。もうちょっと頑張って生きてるもんという自意識がある。いやミジンコも頑張ってるかもしらんけど。でも人間としての矜持はちょっとアピールしときたい。というわけで、わたしは人間だ、人間は生きるものだ、わたしは生きるのが下手だ、つまりわたしは人間が下手なのだ、となった。個人的に腹落ちはしたけど、他の人にとっては大変分かりにくいものになった。でもそういうのも含めて多分「人間がへた」なのでしばらくこれでいい。めんどくさいし。

他には会社の同期からつけられた「ニコカスアル中(ニコチンとアルコール中毒のカス人間の略)」というあだ名をそのままタイトルにするかとも考えたけど、大阪の西成に住む濁った緑色のジャンパーを一年中着ているおじさんのパチスロ奮闘記のような内容だと勘違いされそうなのでやめた。でも内容的にはそう差異はないかもしんない。

とりあえず飽きたら次は「ニコカスアル中」にブログタイトルを変える。