人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

意識が高すぎると人は残飯に価値を見出すようになる

この前20時か21時くらいまで会社で残業をしていて、さてそろそろ帰ろうかという時分に同期の男を見かけた。

この男はわたしが会社から割り当てられているコインロッカーの近くに座っているので、ひまな時に数分ほど立ち話をする。その時も「まだ仕事あんの~?」くらいのテンションで話しかけた。

だいぶ仕事が立て込んでいるようで、男はちょっと疲れた顔で「まだちょっとやることあるんだよ」と言っていた。

この男、とにかく意識が高い人物で、その高すぎる意識に身体が追い付いていないタイプの人間である。将来はワーカホリック。これはもう決まっている。わたしの中で。

そして常に黒いシャツを着ている。下半身は黒スーツズボン。わたしも黒い服ばかり着ているので人に言えた義理ではないがもはや葬式帰りである。あるいはいつでも葬式に行ける。

黒シャツ固定には経緯がある。入社後しばらくは広告代理店らしからぬリクルートスーツにメガネをかけた「地味」が服を着て歩いているような男だったので、ある日着てきた黒シャツを「おしゃれやん」と褒めたら本当にそれしか着てこなくなった。

本人的にはスティーブ・ジョブスのように服を選ぶ時間を削減していると悦に入っている可能性すらあるが、こちらとしては恐らく一枚しかないであろうその黒シャツをどのようにして着まわしているのか気になって仕方がない。というか回せていない。ちゃんと洗っているのか。その黒色は垢汚れなんじゃないのか。洗え。他の色のシャツを着ろ。喪に服すな。

ちなみに現在勤める会社から内定後に出されたグループ課題で男とわたしは同じ班だったのだが、課題制作が修論の締切前の追い込み時期とモロかぶりしており、悩みに悩んだ末に「修論に集中したいので一週間内定課題から離れさせてほしい」とメンバーに伝えた直後、班リーダーをやっていた男が「では昨日のリーダー会の様子を共有します。『この程度の課題が学校やバイトと両立できない人はどうせ仕事できない』と会社の人が言っていました」と発言したことをわたしはありありと記憶している。明確な殺意が生まれる瞬間というものをみなさんは体験したことがあるだろうか。わたしはある。

まあそれは置いておいて、意識高い人間の例に漏れずこの男も会社へのロイヤリティーが謎に高い。三日飲まず食わずの野良猫に高級猫缶をやってもここまで忠誠心は抱かないだろうと思う。ワンピースのギンだって飯貰っときながらすげー戦ってたし。サンジと。あれはほんとひどいと思う。

そんな男が神妙な顔をして「これを見てくれ」と言って傍にあった小箱を開けたものだから、覗き込むとなんのことはないただのランチボックスである。ハンバーガーとサンドイッチ二切れ程が入っている。

「これが何よ」とわたしは尋ねた。

男は言った。

「これはねえ…さっき俺が参加してきた社長や役員たちが出席する会議の軽食の余りなんだ」

だから何だという話である。希少な鉱物を入手したとでも言うなら少しは付き合ってやろうかという気にもなるが要するに残飯である。26年間生きてきて残飯をしずしずとご紹介預かるわたしの人生とは何なのだろうと思いを馳せたくなる。

「だからなに」

五文字である。シンプルに興味がない。興味はないが、人として最低限の付き合いはしておかねばならないだろうと葛藤した時この五文字は現れる。

「ただの残り物だけどさあ…社長や役員の残り物だと思うと味わいもひとしおだよね…」

シンプルに「なんだこいつ」と思った。20代も後半にさしかかった男が社長と言えども肩書をひん剥けばただのおっさんたちの残飯を恍惚とした様子で眺める姿はもはや不気味を通り越して理解不能である。命を捨てても愛し抜くと決めた相手がいたとしてもその愛しき人の残飯には愛着は抱かないだろう。人が残飯を愛しさを持って見つめる時、そいつはただ空腹である。なんか食え。それで終わりである。

でもよくよく思い出してみたらわたしも高校の時の漢文教師にガチ恋をしていた時は、その教師に借りた本に挟まっていた髪の毛が愛おしくてしばらく眺めていたことがある。小さなガラス小瓶に入れて机に置いておきたいとさえ思った。ガラス小瓶に想い人の髪を入れて飾る女はただの狂人である。それか呪術師。

というわけでこの男は恐らく社長や役員に心底恋をしているのだろう。好きな人と働けるヨロコビ、いいですよね。行き着く先は残飯ですが。