人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

「あ」の一文字で一体いくら稼ぐんだ

現在東京のお台場でやっているデザインあ展に行ってきた。同期の友人と三人で行った。「デザイン展行くとか業界人っぽくない?ひまだし」という、意識が低すぎて地下に潜ってしまったタイプの滑り出しだった。

わたしは予定を前々から立てていると前日や当日の朝に面倒になってしまう性質の悪い人間で、今回も例に漏れず若干面倒になっていた。面倒になった結果当日の朝四時頃までベッドの中で、犬が肉を食べたり人が肉を食べたりするyoutubeの動画を観ていた。

「絶対朝眠いやん、だる」

全方位自分のせいだが逆切れの境地に至っているのでそこには意識が及ばない。より良く生きる、という普遍的な価値に対する一種のアンチテーゼ存在としてわたしは日々を生きている。でも朝はすごく早く目が覚めた上にとてもすっきりと起きれた。自分が思う以上に楽しみにしていたようだ。バカなのかこいつは。

12時に新橋で待ち合わせをした。遠足の時だけ早く来るタイプのアホと同じくわたしも一番最初に到着したので、適当に喫茶店に入った。方向音痴なのでおしゃれな喫茶店などを探しているうちに迷うのが怖くて、一番最初に目についた、看板のカラーの組み合わせがおかしい上にどことなくくすんでいて店内はたばこ臭くて椅子のカバーがあちこち破れて綿が飛び出している、古き悪き喫茶店に入った。頼んだアイスティーは紅茶の香りがする水だった。

しばしして友人の一人からグループLINEで「いまどこ?」と連絡が入る。店名と位置情報を送ったが分からないようだった。

「ゆりかもめ駅入り口前のエスカレーターを新橋駅側に降りて、『行きたくないな~嫌だな~汚いな~』と思う方向に進んだら、『入りたくないな~嫌だな~汚いな~』と思う喫茶店があるので、そこにいます」

と返事をした。

「分からせる気ないやろ」と返事が来たが、二人ともその説明で無事わたしのいた喫茶店に辿りついたので、あの状況での最適解を叩き出していたようだ。

デザインあ展はとても混雑していた。整理券を受け取って、入場まで時間があったので写真撮影可能ブースで写真を撮ることにした。所謂インスタ映えのためのブースである。

「インスタ映え狙っていこうよ」とわたしが言う。

「恥ずかしいやん」と友人が答えた。

なにを言うか!一喝である。インスタ映えというと10代の子たちのもので、20も後半に差し掛かった女が本気でゴールを獲りに行くようにバエを獲りに行くことは滑稽だとするような風潮があるが、そもそも10代なんぞこちらから言わせて貰えば何もしなくともバエている。加工なんかしなくても顔にシミや皺なぞないし、仮にそばかすやニキビがあっても、太陽の下で笑って楽しそうにしていればバエることができる。雷雨の下でやっててもバエている。いや雷雨の下で笑ってんのはそれはそれでアートになりそうですね。 とりあえず、言いたいことは、わたしたちのようなアンチエイジングというワードに現実味が生まれてきたあたりの世代こそ、本気でバエを狙いに行くべきだ、ということである。

「バエを全力で狙うくらいで、結果的にはちょうど良くなるやんか」

「確かにそうかも」「バエ狙っていこっか」

書いてて思ったが、三者三様にバランスよくバカである。

そんな感じでバエを獲りに行った結果ちょうど良い感じに仕上がった写真などを撮った。ちなみにこのインスタ映え演説が尾を引いたせいで、昼ごはんに入った何の引っかかりもない定食屋で、何の引っかかりもない定食を前に三人で一生懸命自撮りをするという地獄の時間が10分ほどあった。改めて写真を見返してみても、この時の写真だけは「何なんだろうこれは」という感想しか湧いてこない。バエにも限界があるだろう。

デザインあ展自体はまあまあ楽しかった。入口付近のブースでは、卵の焼け具合を精巧に再現した作品(食品サンプル)や、弁当の中身をカテゴリごとに分けて展示した作品(食品サンプル)や、それら食材を詰めた作品(弁当の食品サンプル)などが並べられていた。全てスーパーに行けば見れる。

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展示を進んでいくうちに、日常に存在するありふれたものをあえて分解・統一・変形させることで、普段は見過ごしている「物」そのものが持つデザイン性や概念といったものを確認していくようなコンセプトなのかな、と自己解釈できるようになったが、最初は本当に訳が分からなかった。1600円払って食品サンプル見せられてる~と思った。周りのカップルたちは口々に「全然わかんない」「どういう態度で見たらいいのコレ」「意味わかんなくない?」と言っていたが、その口で「でも面白いね」とも言っていた。一種の防衛反応があちらこちらで働いていた。もしくは本当に面白いと感じていたのなら、それはデザインあ展が楽しいのではなく、恋人と一緒にデザインあ展に来ているという状況が楽しいのだと思うので、認識を改めた方がよい。1600円、かかるわけですし。もっと良い使い道、多分あるはず。

一通り見終えて、出口近くのおみやげブースを見た。「あ」の文字が模られたフェルトで出来たストラップや、「あ」と書かれたハンカチなどが、1800円とか2500円とかで売られていた。わたしは「あ」の形をしたシールが五枚入ったものを一つ買った。600円くらいした。

「千と千尋の神隠し」の千尋は、親をブタにされた挙句、「ひ」と「ろ」の二文字を奪われて数字の単位に強制的に改名された上にただ働きを強いられているのに、片や「あ」の一文字が1000円も2000円もするのである。

デザインって分からない。そんなことを思う平日の昼下がりだった。