人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

自画自賛するパン「ナイススティック」についての一考察

人の家で宅飲みをしていた。途中でつまみを買いに、深夜までやっている小さなスーパーに行った。わたしはパンを食べる習慣がない。嫌いではないが、米の方が断然好きだからだ。なので、パンコーナーではあからさまにやる気の無い顔をしていた。

日本においては、米はパンと対比されることが多い。ちょっと気の利いたレストランでは、主食を米かパンの二択で選べるところも多い。米と双璧を為すものとして、パンたちは我が物顔でスーパーの一角に居座っている。わたしの露骨なまでの「興味ないけど」という顔は、鼻もちならないパンたちへの一つのアティチュードとしての現れである。

「パン食べないの?これとかおいしいよ」

「別に…」

わたしの中の沢尻エリカが鎌首をもたげている。人から勧められた程度で米から寝返るような尻軽女ではない。しかも「とか」なんていう曖昧なレコメンドでは尚更。

しかし、パンの中に少し気になるものを見つけた。「ナイススティック」と名されたパンだった。パン生地にクリームが挟み込まれている。つい手に取った。すると横にいた男が、「おいしそうじゃん。買おうよ」と半ば有無を言わさぬ形で、ナイススティックを買い物籠に放り込んだ。

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ラム酒のアルコールが良い具合に回った頭で考える。つい手に取ってしまった「ナイススティック」のどこに、わたしは目を引かれたのか。わたしはパンより米が好きだ。それは単純に味や、腹持ちや、幼少期からの慣れ親しみなどが要因だ。パンはパンで美味い。パンの魅力を否定する気は毛頭ない。

しかし、あの軽さは明確に嫌いだ。腹にたまらない。どうしても「おやつ」や「軽食」と同じカテゴリに入ってしまう。朝食にはなるが、ランチにはならない。晩飯にパンを出されようものなら形振り構わず怒る自信がある。

見た目も良く、話も軽妙で愉快な男としばらく過ごして別れた帰り道に、「何してんだろ」と思う気持ちに似ている。一緒にいる時は楽しいが、何も残らない。あれだけ楽しく会話していたはずなのに、思い出せる話題が一つもない。軽薄で空疎なエンターテイメント。それがパンだ。

その中にいて、「ナイススティック」は他と一線を画する空気をまとっていた。「大きなジャムパン」や「クリームぎっしり薄皮ぱん」「りんごたっぷり:アップルパイ」などの中で異彩を放っていた。

パンたちが自信に満ちた薄ら笑いでこちらを見ている。

「あの女、誰を選ぶと思う?」

「西洋に憧れて髪なんか染めてるミーハー女だ。どうせパイとかだよ」

パンたちが周囲を憚らない大声で笑う。居心地の悪さを感じていると、パンの一群が近づいてくる。

「やあ、何してんの。こんな深夜にさ」

「別に…お腹が少し減ったから、おにぎりを買おうと思って」

「おにぎり?やめとけよあんな地味なやつ。俺は薄皮クリームパンっていうんだ、高級生クリーム100%使用だぜ」

「俺はアップルパイ。しかもりんご丸ごと入ってる。あっちでパイ生地でもこねようぜ」

肩書を並び立てるパンたちの演説にうんざりする。するとナイススティックが周りのパンを押しのけて前に出てくる。

「俺はナイススティック。ナイスな棒だ」

わたしは数秒、ナイススティックから目が離せなくなる。名前だけで自己紹介を完結するパン、それがナイススティックだ。「ナイス」を自称する傲慢さに辟易しつつも、そのあまりの不遜さについ笑いがこぼれてしまう。ナイススティックも噴き出すわたしを見て、照れくさそうに首の後ろに手をやる。

「よく生意気な名前だって仲間からも言われるんだ。でもこれが俺の名前だしさ」

いい名前だよ、とわたしは言う。あっちで話そうよ。あなたのナイスなとこ教えて。

ここまでがわたしのナイススティックとの邂逅の全貌だ。みなさん付いてこられているだろうか。

しかし、だ。言いたいことは沢山ある。何なんだ、ナイススティック。さっきまで良い雰囲気だった横の女が突然キレだしてナイススティックも驚いている。やべー女引っかけちまった。多分そういうことを考えている。

まずその名前。まずから始まり、やっぱりで終わる。その名前こそ大問題だ。「さっき『いい名前だね』って言ってたじゃないか」?うるせえ、である。水かけたらふやけるパン風情が人間様に口答えをするな。

そもそもナイススティックのアイデンティティがどこにあるのか分からない。「ナイスパン」ならまだ分かる。なぜ「スティック」としたのか。棒状なので「ナイス」の英語表記に続き「スティック」で統一したのか。しかし棒状のパンはそこらに溢れている。それでも彼らは「フランスパン」とか「丸ごとソーセージ」と自称する。なぜか。誇れるところがあるからだ。自己を自己たらしめる誇り、アイデンティティを咀嚼した上で、名付けが出来ている。

その点、ナイススティックの判然としない態度はいかがなものか。自分の形状にのみ自我を集中させている。これは顔がいいだけの男が「おれイケメン」と言っているのと変わらない。意味の無い同語反復。単なるトートロジー。情報量0。

パン市場は厖大だ。百戦錬磨の強敵たちがひしめき合っている。ナイススティックはもはやその市場で戦おうとしていない。パンとしての要素をまことしやかに隠蔽し、棒市場に身を置いている。パンとしての矜持を投げ捨てて。そんな情けないパンが、棒市場で「ナイス」などと自称し粋がっている。ホームセンターの一角で、メートル何十円で量り売りされる棒たちに言い放つ。

「お前らただの棒だろ?俺はナイスな棒。その上食える」

職人肌の棒たちはこれには納得がいかない。色めきだったステンレスパイプを諫めて、鉄パイプが無骨に言う。

「確かに俺たちは食えない。加工されないと、重くてかさばる邪魔者に過ぎない。だが俺たちは周りの工具や、ネジや、それを管理する技術者と力を合わせることができる。重工業で欠かせない人材としての誇りがある。全員で力を合わせれば、何百トンもの重量を支えることができる。お前がナイスだ食えるだといくら粋がっても、俺たちの絆は揺るがない」

ナイススティックには返す言葉もない。すごすごと、再びスーパーのパンコーナーに戻ってくる。

「俺、ナイススティック!俺たち仲間だろ?仲良くやろうぜ」

ナイススティックは周りのパンたちに軽佻浮薄に声をかける。しかしパンたちからの反応は期待していたものではない。

「何、あいつ」

「ナイススティックって、何がナイスなの?」

「あいつが前いたとこ知ってたか?ホームセンターだぜ。パンとしてのプライドがねえんだ」

一度パンの肩書を捨てたナイススティックを受け入れるパンなどいない。虚空に漂い、どこにも着地できないような、茫洋としたポジティブな名前だけが独り歩きしていく。ようやくナイススティックは気付く。冠された名前の重さに圧し潰されそうな、自分の内面の軽さに。

そしてナイススティックの冒険譚第二章『パン生地から見直す』編が始まる。

わたしは「水をかけられたパン」ということわざを作る。「冠された名前のポジティブさと釣り合いが取れていないことを自覚し、萎縮してしまうこと」の意。

キラキラネームの人は使ってください。