人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

「世田谷」という単語を凶器に変える男

以前、同期が軽井沢に旅行に行ったとのことで、お土産を買ってきてくれた。「軽井沢美人」という名前の赤ワインだった。

地酒を貰うというのはとても嬉しい。ある場所でしか買えないという特別感があるし、地酒を飲むと何となくその土地を体験しているような気分になれる。素直に喜び、「ありがとう!」と礼を言うと、男は「まあお前は世田谷のブスだけどな」と言った。

予想だにしていなかった唐突な罵倒に唖然とする。この同期とは軽口を叩きあう気のおけない仲ではあるが、この時はただ和やかに談笑していただけなのに。あまりにも突然な罵倒だったため狼狽すらした。

「ありがとう!」

「お前は世田谷のブスだけどな」

もはや会話が成立していない。会話の文脈を無視してまで、わたしが世田谷のブスであるという主張を行わずにはいられなかったのか。文脈を無視して人を罵倒する男。こんな奴とは誰も友達になりたがらない。通常、人が誰かに侮蔑されたと感じたときに生じる反応は「怒り」や「悔しさ」であると思うが、この時わたしに沸き上がった感情は1割の怒りと、9割の困惑だ。怒りと困惑を持て余し、その両方を超スピードで行き来していた。感情の反復横跳び。

そもそも、わたしは世田谷在住ですらない。おまけに、まだ東京に出てきて日も浅いので世田谷がどんな街かも分からない。「東京のブス」ではなく、わざわざ「世田谷の」と限定したからには何がしかの含意があるのだろうが、知る由もない。知らない街を接頭語につけてバカにされる、こんな屈辱があるか!

この同期の男を便宜的にスズキと呼ぼう。スズキはとにかく酒癖が悪い。ある時、同期全員で飲み会をやったのだが、女子のヒールを脱がしそこに日本酒を注いで飲んでいたらしい。しかも自主的に。そして別の同期の男には、何故か自分の靴に日本酒を注いだものを飲ませたらしい。そこはせめて女子の靴で飲ませてやれよ、と思うが。まあ街の名前すら悪口にするような悪鬼羅刹なので、さもありなんか。

そして王様気質でもある。なまじスペックが高いものだから、今よりも若い時分には相当腰高な人物だったようだ。「俺、小学生でサッカーする時はずっとフォワードやってたし」と言っていた。「キーパーは友達にやらしてた」とも。わたしはサッカーには明るくないので、何となくしかニュアンスを受け取れないが、友達に一生キーパーを押し付ける行いが非人道的であることは分かる。

しかしこんなスズキも、就職し、社会の荒波に揉まれ、第一線で活躍してきた先輩社員を目の前にしても王様でいられるほど傲慢ではなかったようだ。「全然敵わねえ…」としょんぼりしていた。そうやって大きくなっていくもんよ、と肩を叩いて慰め合った日もあった。

だがこの前、何気なくスズキのインスタグラムを見るとユーザー名が「suzuking」だった。王様、全然抜けとらんやん、と思った。全然嘘やん、むっちゃヒエラルキーの頂点としての自意識持ってるやん、と。上京して忘れかけていた大阪弁も蘇る。人の方言に再び命を吹き込む平成の王様。

それにしても、王様と世田谷のブスが同時に在籍している企業というのは凄いんじゃないか。他にありますか、王様と世田谷のブスをいっしょくたにして採用する企業。ダイバーシティもいくとこまでいったな、という感じ。性別どころか、国境も時代も階層も飛び越えている。王様と世田谷のブスが同じ釜の飯を食っているわけである。

でも、改めて考えてみると、そういうことから戦争や差別は無くなっていくのかもな。何とか良い感じの話として終わらせようと思ったが、成立していないのは認識している。なんせ、登場人物が平成の日本で王様を自称する狂人と、世田谷のブスだけだし。引きのないメンバー紹介。