人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

酔っぱらいの帰巣本能について

電車に乗っている時、目の前に酔っ払いが立った。サラリーマン風の中年男性だったが、露骨なまでに酔っていた。「酔っ払い」という概念すら知らない赤子でも、あれが酔っ払いだよ、と指さしてやれば「なるほど」と言葉を喋りだすんじゃないかと思うくらいに。

男は吊革に両手で捕まっていたが、立ちながらほぼ寝ていたようで、ものすごい勢いで揺れていた。グラグラ、という生易しい表現では再現しきれない。グワァ~ングワァ~ンという擬音が相応しい揺れ方だった。

小心者のわたしとしては、いつおっさんが目の前に座っているわたしに向かって倒れこんできやしないかと気が気でなかったのだが、横に座っていた中年女性は男には目もくれずクロスワードに夢中だった。この動じなさについてはある種の尊敬すら抱いた。東京の電車にはゴミと猛者が同居しているんだ。民度のるつぼだな、と考えた。すごいところに来てしまった、と故郷に想いを馳せたりもした。

「こんなに酔っていたら、家まで辿りつけないだろうなあ」と少しの慮りもあった。だがわたしの心配をよそに、ある駅に電車が到着しアナウンスが流れると同時に、男はパッと目を開き、フラフラとドアを出て行ったのだ。

すごい帰巣本能だ!と感動した。人間の形をしたハトやん!とも。一人で大盛り上がりだった。

ただ酔っ払いの帰巣本能についてはわたしも似たような経験を何度もしているので、分かるところがある。飲みに行って大いに酔っ払い、記憶すら朧気だが朝にはちゃんと自室のベッドで目が覚めている。まあ、冷蔵庫の中にスマホをしまっていたり、スマホのメモ帳に「鼻毛が三つ編みになっているキャラクターは大体すごい強い」などと謎のダイイングメッセージが残されている程度の酔狂さはあるが。

ただ、それを考慮してもあの男の帰巣本能はすごいんじゃないか。酒臭さも揺れ具合も相当なものだったから、余程深酒をしたんだろう。前後不覚の状態で、電車内のざわつきの中から降りるべき駅のアナウンスだけ的確に聞き分け、しっかりと降車したわけである。ハトでさえも、あそこまで酔っぱらってたら巣にはたどり着けないんじゃないか。

そういえば、まだ通信機器の発達していなかった時代の新聞記者は、ハトを数羽常に携帯していたという。伝書鳩に文書をくくりつけて飛ばすことで、スクープやニュースをいち早く会社に届けるためだ。

今でこそ、通信技術は隆昌を極め、ハトなど持ち歩かずとも情報のやり取りは出来るが、何があるか分からない昨今である。あらゆる情報網が絶たれ、そこらへんでポッポポッポやっているハトが絶滅危惧種に認定される時代が訪れないとは言えない。そうなった時は、新聞記者は酔っ払いのおっさんを数人引き連れていけば良い。ハトにエサをやるように、おっさんには紙パック焼酎を与える。記事が完成したら、おっさんにくくりつけて放流してやれば良い。

ただ、酔っ払いのおっさんを何人も引き連れている新聞記者の取材に応じる人間はいないだろうな、とも思う。

「本来、公正・公平性が保たれているべき政治が、政治家の権力や既得権益に委ねられている現状についてどう思われますか?」とか大真面目に語る記者の後ろで、酔っぱらったおっさん達が「ま~た小難しい話して!」「お食事券の汚職事件ってか!?」と、ポッポポッポやっているわけである。

多分、おっさんとの酒盛りに夢中になってしまう。新聞記者が酔っぱらったおっさんを引き連れないのも、納得である。