人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

楽曲『カーニバる?』のナオトインティライみへの敵いようもない敗北

うちはスカパーを契約している。休日は大体、MTVやスペシャなどの音楽番組を垂れ流しにしていることが多い。今日もMTVにチャンネルを合わせて流しっぱなしにしていた。

風呂に入って、髪の毛を拭きながら部屋に戻り、テレビに目をやった。ナオトインティライミが外国っぽいところで外国人たちとわちゃわちゃしているMVが流れていた。左下の楽曲名を見る。『カーニバる?』という曲名らしい。

「うへえ…」となった。脱力感すらおぼえる。

さっぱりして、仕事の勉強にでも集中しようと思っていたところだったのだが、一気にやる気が削がれた。風呂上りの爽快さも、ナオトインティライミを前にして不戦敗からのトンズラ。残されたのはナオトインティライミとわたしだけ。諦めて向き合おう。この珍妙な気怠さに。

一体何が、わたしをここまでうんざりさせるのか。ナオトインティライミを見る度に、こうも脱力させられていては日常生活もままならない。いい加減、ここらでナオトインティライミを克服しておくべきだろう。今後のためにも。

ただ、「ナオトインティライミ」の固有名詞が長すぎて既にうんざりしているが。名前のローマ字やらカタカナやらの表記ですら、既に飽食気味なのに。なぜこんなに長くした。「インティライミ」はどこから来た、と思い今調べてみたところ「太陽の祭り」という意味らしい。倦怠感の予感が現実に変わる。名前だけで負けかけている。ポジティブ界のマイク・タイソン。えらい相手を敵に回してしまった。太陽の祭りに勝てる奴いるのか。

まあ、試合に勝つにはまず相手を知るところから。というわけで、今回はナオトインティライミとその楽曲『カーニバる?』に着目して、この脱力感の源を探っていこう。

ビジュアルからの強烈なジャブ

Amazonで『カーニバる?』と検索してみると、以下のCDが出てきた。

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本日二度目の「うへえ…」である。「うぐぅ…」に近い。こちらの力量を測るために繰り出されたジャブでKOされかけている。

もう勝てなくてもいいから、この場から立ち去りたい。すみませんでした、このCD(一枚1,056円から)買いますから…。そう言って、手打ちにしてもらいたい。RPGゲームをプレイ中、洞窟の最奥ステージで、明らかに今のレベルでは勝てなさそうなボスが見切れている時の気持ちと似ている。「あ、無理や」の四文字。諦めの表現は四文字で事足りる。

ナオトインティライミは今39歳らしい。この楽曲が出たのは2010年頃らしいので、まあ30歳くらいか。率直に言うと、30の男が目に缶バッジを付けるな。これで終わる。30の目缶バッジ男が、オレンジ背景をバックに破顔し、モノクロでジャケ写を撮るな。以上である。

突き抜けた明るさというのは、アホらしさを伴う。現代社会においては、アホでもないと突き抜けた明るさを持ちえないとも言える。だからこそ大衆は魅了されるのかもしれないが。

最近流行っているらしい「WANIMA」というアーティスト、あれも表情筋おばけである。ナオトインティライミの雰囲気をそこはかとなく感じる。気になってこちらも調べてみた。

Gotta Go!!

やはり「うう…」となる。だが、ナオトインティライミと相対して感じるそれほどではない。若干のおしゃれさが担保されているからか。逆に、おしゃれさを背景に押しやり、一直線にアホらしさを目指すナオトインティライミの攻撃力の強さが浮き彫りになる。WANIMAはまだ、ボス:ナオトインティライミの左右に陣取る、先に倒さないとボスに攻撃が通らないタイプの敵どまりだ。今後の成長に期待したい。

『カーニバる?』のポジティブ大暴力

恐る恐る、youtubeで『カーニバる?』と調べてみた。「頼むからヒットしてくれるな」という祈りにも似た想い。だが、現実はいつの世も非常だ。以下、『カーニバる?』の冒頭の書き起こしである。

あたぁ~~らぁしぃぃ

ステェージの幕開けだぁ(ペン…ペペッポンポ)

さぁ~アー!ゆぅこぅおぅぅお

手の鳴るほぅへぇぇ…

パンパンッパパ スッパッパン!

パンパンッパパ スッパッパン!

さぁうぃな!(正しい歌詞:さあ皆)

カァニボゥ!?(正しい歌詞:カーニバる?)

わぁににゃ~てら!(正しい歌詞:輪になって)

さわぁぐにゃー!(正しい歌詞:騒ぎな)

ピーーーパピーーパパボンボボンッボボボボン(オゥオッ!)(ドゥルルルルルルッフッフゥー)(正しい歌詞:不明)

ボボンボドドッドゥルデレデレ(ウォゥウォゥウォ)ドゥ(ヒハハッハァー)(正しい歌詞:黒ずみ絶命につき不明)

ここまでが冒頭の30秒程度のあらすじである。予想をはるかに上回る、とてつもないポジティブパンチのラッシュに、わたしは30秒で息絶えた。あとは各自で聴いて頂きたい。

www.youtube.comナオトインティライミは、あらゆるジャンルの音楽を吸収するために世界各国を旅したそうだが、吸収したはずの音楽性は一体どこに行った? ポジティブのアクが強すぎて、ポジティブ味しかしない。

クラシックであろうがR&Bであろうがケルト・ミュージックであろうが、ポジティブをその上にぶちまけてしまっている。世界一周して、行きつく先が毒にも薬にもならない、突き抜けポジ音楽。「新しいステージの幕開けだ」と歌っているが、全然新しいステージ幕開いてない。手垢にまみれた使い古しのJ-popメロディーと歌詞。手叩く前に自分の右脳ぶん殴った方がいいんじゃないか。

一周回ってナオトインティライミを評価する

ここまで酷評しているが、ナオトインティライミについて真面目に考えているうちに「実はすごいアーティストなんじゃないか?」と思い始めている。多分、ストックホルム症候群になりかけているんだと思うが。命の危険を感じ始めている。

寿命が尽きる前にそう思った訳を手早く説明しよう。

上で新しくもなんともない使い古しのJ-popと評したが、これこそがナオトインティライミの真骨頂なんじゃないか、ということだ。表現欲や、自己研鑽欲をその道で昇華し究めようと骨身を削る人間は、多くの領域にいる。武道家、芸術家、建築家、文芸家、もちろんミュージシャンもここに入る。

芸術家たちは、悠久から生み出され続ける先人たちの作品に影響を受けながらも、自分だけの道を作り出そうと模索する。しかし、何百年も前に生まれたにも関わらず、今もなおあらゆる音楽や文化に影響を与え続けているものを超えることは容易くない。例えばクラシックのバッハ。例えばブラック・ミュージックのジェイムス・ブラウン。

嫉妬と羨望、盲従と反抗を行き来しながら、色々嗜んだ結果、原点に回帰する、というもの。ロックから入り、ガレージを経て、ポスト・ロックを齧ったあと、結局カノンコード進行に落ち着く、といった感じ。

J-popの価値の原点というものを一つ、乱暴に定義するなら「世代性別を問わず日本人にとって耳馴染みが良く、明るい気分になるもの」としよう。そう考えると、確かにナオトインティライミはその価値において、自分の立ち位置を自覚し、一貫した態度で作曲を続けている。ただ明るく、盛り上がれる音楽を作ることに真摯に向き合っている。これはなかなか出来ることではない。

ここまで書いて、少しナオトインティライミのことが好きになってきた。『カーニバる?』も決して悪い曲では…あ、やっぱいいわ。やはりこのポジティブラッシュには耐えられない。

ポジティブの毒が回る前に、今日は死ぬほど暗い映画でも観て中和しよう。