人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

クラスメイトをぶん殴った手で、自分にメールを打つ

冬の時期、居酒屋に行くと壁にズラッとサラリーマン達のコートがかかっている。「サラリーマンの抜け殻だ」と思う。仕事終わりにコートとジャケットを脱いで一介の人間として羽化。真冬でありながら真夏の風物詩を感じることが出来る一つの光景。せいぜい数時間でまたジャケットとコートを着直してサラリーマンに戻っていくのも面白い。短命なところも蝉と似ている。

忘年会・新年会シーズンの飲み屋街は活気に溢れている。街を彩るネオンも心なしか明るく感じる。「平成女学園」という風俗の看板もピカピカ光っている。多分偏差値20くらいの小さな学園。平成ももう終わるが、名前はどうするつもりなのか。

タクシー運転手の狩場と化したネオン街を、酔っ払いたちを横目で見つつ歩く。東京に出てきて約1年が経とうしているが、気軽に飲みに誘い合える友人がいる喜びを噛みしめている。

昔から友人が多い方ではなかった。中学・高校は行きたくもなかったカトリック系の女子校に親に無理やり押し込まれ、モチベーションも低かった。女も男も、集団になると碌なことがない。

中学では入学後すぐに風邪を引き、二泊三日くらいの新入生オリエンテーションに途中からの参加となった。半日もあればグループは出来る。だが同室の女子二人は途中参加のわたしにも優しく接してくれた。急速に仲良くなり、三人でつるむようになった。だが、数か月もすると何故か二人の片割れにガッツリいじめられるようになった。自分の親はヤクザであると主張する女であった。

無視や悪口、通りすがりの肩ドン等いろんな嫌がらせがあったが、一番ダルかったのは他のクラスメイト達に「黒ずみがあなたの悪口言ってたよ」と大嘘を吹聴されることだった。ただ、大して話す機会の無いクラスメイト一人一人に誤解を解くのも変な話だし、何より面倒だった。相手も浮いた存在だったので、嘘を信じ込む人もあまりいないだろうと判断した。

しかし、アレコレと鬱陶しいことを続けてくる女にいよいよ我慢ならなくなった時、わたしたちは激突した。

放課後の教室で、女はクラスメイトと数人でお喋りをしていた。わたしが教室に入ると、女は大きな声で「あ~うざいの来たわあ」などと言っていた。いつも通り無視していたが、しつこかったのか何かが逆鱗に触れたのか忘れたが、わたしは突然キレた。女の顔を思いっきりビンタして全速力で逃げた。後ろから「待てやテメエ!」と正気に戻った女の怒号が追いかけてきたが、無視して走った。あの時のダッシュを計測していたら、きっと人生最高のタイムが出ていたことだろう。

当然ながら先生にチクられた。翌日職員室に呼び出された。だが、いじめが始まった早い段階から既に都度チクりを入れて先生を味方につけるという、コスい方法で手を打っていたのであまり怒られなかった。先生たちも、寮で他の生徒とベッドの中で裸で何やらやっているのがバレて停学処分を食らったり、親からの差し入れのウイスキーボンボンを丸々一箱食べて急性アルコール中毒を起こし救急車に搬送されたりしていた女よりも、わたしの方を信用していた。

「グーじゃなくてパーで殴ったし、耳もちゃんと避けました」と自分の暴力の正当性を主張するわたしを、先生はシンプルに「でもダメでしょ」と窘めた。わたしたちは二人揃って呼び出され、お互いに謝って握手をするように命令された。わたしはきちんと謝罪したが、女の態度はふてぶてしさに溢れていた。wikipediaの「全く反省していない態度」の項目記載の出典を、その女の名前にしていれば通用するような振る舞いだった。先生の何度目かの催促の後、女は「ごめんなさい」と言った。正確には、声が小さすぎて聞こえなかったので「ごめんなさい」というような口唇周辺の筋肉の微細な動きが見えた。「聞こえねえよ」と言うと女は「アア!?」と突然大声を出したのでビックリした。肺活量の使い分けが巧みな女と、わたしは握手を交わした。互いに握力測定をしているような、全力での熱いシェイクハンドであった。

中学二年にあがる頃、初めての携帯をあてがわれた。兄のお下がりだったが嬉しかった。クラスメイト達も大半は携帯を既に持っていたので、メアドも交換してやり取りに勤しんでいた。

わたしは悩みがあった。中学生女子にありがちな他愛もないものから、どヘビーなものまで。基本的にあまり人を信用していないのと、気軽に話せる内容でない悩みもあったため、一人で悶々としていた。だが、とにかく誰かに吐き出してしまいたい欲求は消えずフラストレーションは溜まる一方だった。

考えあぐねたわたしが出した解決法は、「自分で自分にメールして悩みを聞いてもらう」というものだった。頭がおかしい自覚はあったが背に腹は代えられない。

わたしは早速、自分のメールアドレス宛に「こんにちは」とメールした。メール送信完了の通知が出ると同時にメール受信の通知が来る。まあ、当然なんだが。自分で自分に「こんにちは」もないと思うが、最初は形式から入るべきと考えた。相手が自分であっても礼は重んじねばならない。わたしは自分が出した「こんにちは」というメールに「こんにちは」と返事をした。世界で一番やるせない挨拶の応酬であった。すぐにこれだと話が進まないと気付いたので、早速悩みをつらつらと書き始めた。丁寧な挨拶の直後に死ぬほどヘビーな悩みを長文で相談する情緒不安定さはこの際無視することにした。自分は自分ともう十数年の付き合いなんだから、親友みたいなもん!と脳内で再定義した。

わたしは真剣に悩みをメールし、相談相手役のわたしも真剣に悩みに応えてくれようとした。単純な共感や同意ではなく、解決に向けた建設的な議論を求めていた。相談役のわたしも、わたしの思いを汲み取り、時に優しく、時に厳しく相談に乗ってくれた。わたしたちのやり取りは毎日続いた。

そしてわたしたちは喧嘩した。「悩んでたって仕方ないやん」という相談相手役のわたしの言葉にカチンと来たわたしが、「あんたに何が分かんの」と吹っかけたのである。何が分かるというかその相談相手はお前だ。これ以上最高の理解者などいない。

だが、一度噴出した不満は止まらなかった。お互いに、嫌だと思っていたことを手当たり次第にぶつけ合い、わたしたちは等しく傷だらけになった。「もういい」と一言メールを送った。返事は来なかった。わたしたちはそれぞれ、一人の親友を失い、取り戻すことは二度と無かった。

この世で最も不毛かつしょうもない二人の物語である。