人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

ことわざにはメジャーな言葉を使ってほしい

「子はかすがい」ということわざがある。子どもへの愛情が夫婦の仲を繋ぐというような意味だ。ところで、かすがいとは何だ。

調べてみたところ、材木と材木を繋ぐために打ち込む、コの字型の大釘をかすがいと言うらしい。材木同士を接続するかすがいを、親同士の絆を結ぶ子どもになぞらえているのである。

それにしても、このかすがいという言葉はメジャーなのか。「かすがい」と聞いて「ああ材木と材木を繋ぐ大釘ね」と即座に合点がいく人は一体どの程度いるのか。

例えば、歌舞伎や落語は多くの慣用句やことわざの語源となっている。イケメンを二枚目、茶目っ気のあるキャラクターを三枚目と言うのは歌舞伎文化に由来する。飲み会を指す「打ち上げ」も興行文脈の言葉だ。江戸時代では、歌舞伎や落語は大衆娯楽文化だったので、そこで用いられる言葉も生活に浸潤していただろう。

でも、かすがいはどうだろう。分かります? かすがい。何故わざわざ慣用句という公共性の高いものに専門用語を使ったのか。こんなもの、大工の間だけで通じる内輪ネタみたいなもんじゃないのか。

「昨日嫁とケンカしてたら、子どもが止めるんだよ。その姿が可愛くて二人で笑っちまったよ」

「おめえ、それはかすがいってやつだな」

こんな会話が大工仲間の内々だけでされていたのだろう。そして、大工に憧れる少年がその様子を物陰から盗み見て、自分で使い出す。当然ながら大工職でない人間は「かすがいって何?」となる。少年は誇らし顔で説明してやる。「ほお〜それはうまいこと言ったもんだ」となり、みんなも使い出す。耳慣れない言葉を使うことに人は快感を覚えるものなので。 

ちなみに「豆腐にかすがい」という派生型もあるらしい。「のれんに腕押し」「糠に釘」等の類義で「手応えが無く、反応や効果が得られないこと」を意味する。

ここまで来ると、はしゃぎすぎな感じもする。覚えたての言葉を使いたいばかりに、無理やりこじつけた感がある。恐らくこれが定着する過程では「猫にかすがい」や「馬鹿にかすがい」など数多の派生型が生まれ、消えていったと思われる。

また、「糠にかすがい」や「豆腐に釘」とするのは誤用なのでNGらしい。もう、こんなの一緒でいい。豆腐と糠、かすがいと釘が入れ替わっても何も変わらない。そのこだわりは何なんだ。かすがい派と釘派が揉めている。いや、豆腐派と糠派かもしれないんですけど。統一すればいいのに。派閥が生まれないように「ふわふわにグサ」とかちょっとボヤかして表現しておけばいい。

余談だが、刀鍛冶から派生している言葉も多くある。「トンチンカン」や「相槌を打つ」「焼きを入れる」等、枚挙にいとまがない。このへんも内輪感が強い。絶対、師匠と弟子の内輪ネタが源流だもん。「おい、モタモタしてんじゃねえ!焼きいれるぞ」っていう会話、日本中の鍛冶屋であったでしょ。

それにしても、大工やら鍛冶やら職人気質な風土が強いところで色々言葉が生まれているのは面白い。やはり物作りに携わる人達は言語領域においてもクリエイティビティを発揮するのだろうか。

でもやっぱりかすがいは分からないので、ボンドにしましょう。それかアロンアルファ。「子はアロンアルファ」。くっついたら絶対離れなさそうではある。