「はあ?」だと思うので簡潔に説明を加える。
小学生の時、同期の周りではポケモンごっこが流行していた。彼女はカメックスになりきり「ハイドロポンプ~!」と叫びながら両手を伸ばした姿勢で大回転しつつ友人に攻撃を加えたそうだが、目を回して遠心力が収まらないまま柱に激突し、あばらの骨折に至ったとのことである。
ここまで聞いてわたしがきちんと理解できたのは「柱に激突しあばらを折った」部分のみである。「ポケモンごっこ」と聞いた時、わたしはサトシとかカスミ(このへんジェネレーションギャップがありそうで怖いが)などのポケモンマスターをロールモデルとして、「いけピカチュウ!」とでも言いながらボールをぶつける遊びなんだろうなと予想していた。しかし違った。書いて字の如く「ポケモンごっこ」だった。
なぜそこでポケモンになりきる? シルバニアファミリーなどの動物しか存在しない世界観において、その維持のために必要に迫られ動物に自己投影をするならまだ分かるけど、なんでわざわざポケモン? 使役している人間がいるのに? あとカメックスってハイドロポンプする時回転するの? これは単純な知識不足からくる素朴な疑問ですが。
そもそもわたしはポケモンの世界像に小さい時から疑問を感じている。一番最初に放送されたサトシ・カスミ・目が細い男(名前忘れた)の三人が登場するアニメしか知らないが、あの世界でのポケモンの扱われ方がよく分からない。
あれだけ人間と意思疎通ができて従順さも備えた生き物なら、確実にポケモン保護団体的な愛護活動や法的・制度的措置が整備されているのが自然だと思うがそんな様子は無い。むっちゃ戦わせる。土佐闘犬のようなローカルな伝統文化なのか。と思いきや普通にジムとか四天王制度とかある。メジャーなカルチャーっぽい。でも大きな批判があるようでもない。意外とあの世界ってコロッセオとかが存在してるローマ時代あたりが舞台なんだろうか。
一方で、現代における愛玩動物に限りなく類する役割をポケモンに求めている人もいるっぽい。なのにサトシとかともフランクに話す。そいつ無茶苦茶ピカチュウ戦わせてんのに。ポケモンでポケモンぼっこぼこにしてんのに。でも何も言わない。なんで? 価値観は人それぞれと言ってもやっぱ少しは「あーこの人とは相容れないな…」って思ったりしない? 熱狂と暴力が密接に結びつく野蛮風土かと思いきや文化相対主義だけはむっちゃ定着してんの? なんかバランス悪くない?
ジムリーダーもよくわかんない。結構な年齢の大人がいるかと思えば普通に小学生や中学生あたりの若年層もいる。普通に大人が子どもに負ける。幾たびも死線を潜り抜けてきた老獪な雰囲気とか出したあと小学生に負ける。そんなんでいいの? ポケモンマネジメント能力低くない?
あとサトシって確か小学生だったと思うけど学校はどうしてるの? 国民三大義務の教育の義務どこいった? ていうか小学生が平気で百万ボルトとかかまいたちとか致死性の高い攻撃をポケモンを介在して普通に使えるのはどうなの? やっぱ教育必要じゃない?
そういうわけでわたしはポケモンを全然知らないし全然理解できない。まして自己投影は絶対できない。
と言いつつ、一度ポケモンに若干ハマった時期があった。ポケモンGOである。
大学院生の頃、日本中の期待が頂点に達する中リリースされたポケモンGO。一応、世間で盛り上がっているらしいことは認識していたが、その程度の興味だった。小学生の頃にやったポケモンの銀がポケモンに触れた最後の記憶。世代で言うとどこになるかも不明だが、多分いっても2世代くらいまでの知識しかない。早期に捕まえたピカチュウだけを集中的に育て(アニメを見てピカチュウだけは知ってたので)、最終的にLv.99のライチュウに成長させた。四天王の繰り出す全てのポケモンを「たいあたり」か「100万ボルト」でぶっ殺すという、パワー系脳死プレイでクリアしたものである。
ポケモンGOリリース当日、いつも通り大学の研究室に行くと、先輩たちがスマホにくぎ付けになっている。みんなポケモンGOに夢中だった。勧められるがままにわたしもダウンロードし、遊び始めたが勝手が分からない。先輩に画面を見せながら遊び方を尋ねると「それ偽物の方のアプリだよ」と言われた。どうやらポケモンGOのコピー品であるパチモンGOを誤ってDLしてしまっていたようである。初歩で躓く。
その後はそれなりに真面目にやっていた。コンビニに行きがてら少し遠回りしてポケストップに寄ったり、大学で暇な時に起動し構内を練り歩いたりもした。ただ元々飽き性なのと、粗方可愛いめのポケモンはゲットして満足したので順調に飽きた。
ある日の深夜3時頃、わたしは大学の研究室で論文を書いていた。休憩中に何気なく、久しぶりにポケモンGOを起動し画面を確認すると、構内のジムのポケモンが不在になっていた。小さな悪戯心が芽生えたわたしはジムの全ての空席にポッポを突っ込んだ。LV.5くらいのポッポが、わたしのポッポがジムを占拠している。普段は常に雷が散る激戦区のジムであるにも関わらず! 梶井基次郎著『檸檬』の主人公のような気分だった。満足してわたしは論文執筆作業に戻った。
朝方、帰る前にそういえばポッポはどうなっただろうかと思いアプリを起動してみると、ポッポは敗退し手元に戻ってきていた。ポッポ群が占領していたジムの後釜にはキャタピーが鎮座していた。
雑魚モン置くバカが二人といたわ。大丈夫なんかなこの大学。そう思いながら帰路についた。
ちなみに翌日そのジムを確認すると当然ながらキャタピーは駆逐され、普通に強そうなポケモンが配備されたいつもの光景に戻っていた。ポッポとキャタピーの刹那の栄光。あれは闇夜が見せた儚い幻だったのだろうか。あるいは誰かが祈った未来のひと時の蜃気楼だったのか。
まあ違う。普通に深夜にアホが二人ブッキングしただけ。なんでもかんでもいい話風に締めようとするのをやめろ。