人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

感嘆符を失った女と夜景ドライブの食い合わせの悪さ

大学生時代、友人三人でドライブに行った。うち一人が車を買っただか親の車を貰っただかで発足したイベントだった。

夜、家の目の前まで迎えにきてもらい助手席に乗り込んだ。普段から運転をしているのだろう、運転手のハンドルさばきはスムーズで、ドライブは好調な滑り出しを迎えた。車で40分程度走らせたところに、摩耶山展望台という夜景で有名なスポットがあったのでそこを目指していた。車内では当時流行していたEDMが大音量で流れていた。

「大学生が行うドライブについて以下の言葉を用いて説明しなさい」という設問があった場合、そこで呈示される単語はやはり「夜景・EDM・友達の車」であろう。模範解答は「友達の車で夜景を見にEDMを流しながら山へ行った」である。アレンジとして「イツメン」や「濃いメンツ」という単語を加えるとウェイポイントも加算される。テスト前には是非とも覚えておきたいテクニックである。

車は問題なく山のふもとに到着した。ここからの道は狭く曲がりくねっており、また車・バイクの走り屋も多く訪れる場所だった。わたしはバイクに乗るので、展望台に行ったことは無かったが、山自体には毎日のように走りに行っていたのでよく知っていた。

「こっから少し危ないからゆっくりでいいよ」と言うと、運転手の男は「俺、山とか走り慣れてっから大丈夫やで」と返した。

この男を仮にみっちゃんと呼ぼう。みっちゃんは無茶苦茶カッコつける男である。みっちゃんの内部世界には無尽蔵のカッコつけがある。「かっこいい」のではなく「かっこつけてる」なのがポイント。

みっちゃんのカッコつけは常に若干ズレている。もの凄いキメ顔で「俺、ローストビーフよく作るんだよね」と女を口説く男である。これだけ聞くと、料理趣味の友人の何気ない一言を「口説かれてる」と自己解釈するヤバめの女に見えることは自覚している。ただ実際にみっちゃんという男は肉塊ひとつで女をオトしにかかる男なのだ。

俺、ローストビーフ作んの得意なんだよ。スパイスとかにも凝ってるし。自分で配合してんの。え?普通のと何が違うって?それは教えらんない(笑)、企業秘密(笑)。けどホントうまいからさ、今度うち来たらいいやん。食べさせてあげるよ。

このようなことをなんかすごいカッコつけてる感じで話す。「今わたしが相対している人物はGACKTなのであろうか」という気分になってくる。

山道へと車を進めたみっちゃんは、おもむろに片手をハンドルから離した。これはもう自明の理である。かっこつけて運転する男は片手でハンドルを握るし、片手でハンドルを握る男はかっこつけた運転をするのである。桜の花びらが風に巻かれてそっと枝から離れることにわたしたちが理由を求めないのと同じく、彼もまた自らの片手がハンドルから離れることに釈明を付け加えることはない。

「俺くらい運転上手いと山道でも片手で全然いけんねん」

前言撤回である。むちゃむちゃ主張していた。ハンドルから離れたみっちゃんの片手が車内でカッコつけタイフーンを発生させていた。

「結構飛ばすけど、車酔いとかしたら言ってな」と続けた。

できることなら普通が良い。後ろから追いつかれた車には道を譲って先に行かせるのが良い。飛ばす楽しさは知り合いの走り屋の助手席で体験できる。安全に、ゆとりを持って走るカッコよさもあるんだよ。そう言いたかったが辞めた。みっちゃんが思う自分らしいカッコよさを完遂させてあげたいと思う友人心であった。あと飛ばすと言った割に40キロ巡航くらいだったので大して危険でもなかったというのもある。

ちなみに、ここまで登場しないもう一人の友人は後部座席に当然座っており会話にも参加しているが、みっちゃんのインパクトに負けて何してたかあんま覚えていないので、今後もこの話では一切登場しない。各々で適当に補完しておいて欲しい。

車は無事展望台に到着した。急カーブと車のすれ違いが多かったので、時折みっちゃんの片手は自然とハンドルに吸い寄せられていたが、すんでのところでグッと堪えていた。固く握りしめられた拳からは「男子に二言無し」のみっちゃんの気概が感じられた。

展望台までは少し歩かないといけなかった。すぐにひらけた広場に出た。まだ夜景は見えないが、山際に夜景を一望できるスペースがある造りになっており、人が集まっているのが夜目に何となく分かる。

歩を進めようとすると後ろから目を塞がれた。所謂「だーれだ」のアレである。もちろん塞ぎ手はみっちゃんである。

「黒ずみってここ来たことないやろ?目の前までのお楽しみ」みっちゃんは言った。

シンプルに「うわ~」と思った。サムいサムくないの話ももちろんあるが、どちらかと言えば、期待されたリアクションを返す困難さの予感に恐れを抱いていた。

とにかくわたしはリアクションが薄いというか下手というか、感嘆符を失ってしまった女である。サプライズとかも本当に怖い。

みっちゃんが期待するリアクションは「やばーい!むっちゃ綺麗!すご~い」みたいな感じだろうとわたしは推察した。そして通常通りであれば発せられるわたしのリアクションは「うわむっちゃ綺麗やん」である。からの「一旦たばこ吸っていい?」だ。しかもわたしはその展望台にこそ行ったことは無かったが、毎日バイクで山には登っていたので近接するスポットからの夜景は腐る程見ていた。

しかし、ここまで車を出してくれて、しかも夜景の美しさの感動をひと際大きなものにしようと尽力してくれるみっちゃんの気持ちには応えたい。わたしはそう思った。精一杯わたしの感動を伝えよう。期待される反応とは程遠いかもしれないけど、せめて大きな声を出そう。そう思った。地区予選敗退確実の野球部のようなメンタリティ。

秘かなる決意を胸にわたしは歩き出した。勿論目は後ろからみっちゃんに塞がれている。物凄い歩きにくい。目も見えず道も分からないのでどうしてもチョコチョコ歩きになる。大変滑稽である。しかも広場がデカいのでゴールの展望台までが遠い。これについては3秒に一回、薄目で進路を確認するというワザップで事なきを得た。実を言うとこの展望台、広場の通路に蓄光塗料が塗られた石が敷き詰められており、ぼんやりと光る道がとても幻想的だった。みっちゃんはそのへんも夜景と一緒に見せたかったんだと思うが、ここは安全性を優先した。むっちゃ光る道みてた。そしてチョコチョコ歩きの変な男女を5分程全うした。みっちゃんもよく途中で心折れなかったと思う。みっちゃんに二言は無いのだ。

「絶対目開けたらあかんで。あ、そこ段差な」

「見るわけないやん、まだ着かへんの~?」

ガッツリ見てた。段差もひょいひょいだった。そしてわたしたちは展望台に辿りつき、視界は解放された。

「わあ~!……むっちゃ綺麗やね、道とかも…光ってるし…夜景と相殺やね」

一つ目のエクスクラメーションマークを発してわたしは力尽きた。何故か夜景と光る道の美しさを累乗ではなく打ち消し合うスタンスを表明した。そしておもむろにタバコに火をつけて黙り込んだ。リアクションの大きさではなく、「夜景の美しさに言葉を失う」という静かなるスタイルで感動を表現するスタイルにシフトする戦略だったが、傍目ではただのやさぐれた女であったと今にして思う。

でも、このドライブはとても楽しい思い出として今でもわたしの心に残っている。みっちゃんには、ありがとうと、サプライズ演出する女は選べ、という二点をここで伝えたい。

人間の忌まわしき過去「奴隷船」は東京にて今も息づく

東西線を毎日通勤のために使っているのだが混雑がヤバい。人に押されて息が出来ない。身体が捻じれたまま固定されてしまい腰を痛めたこともあった。本気で労災申請したい。余りにヤバいので調べてみたら東京で混雑率NO.1だった。仮説の実証も完了。

上京から約1年が経とうとしているが、一番感じている身体の変化は満員電車への適応である。上京してしばらくは満員電車に乗る度に貧血を起こし、時に意識を失ってぶっ倒れることもあった。今はというとただただ無心で乗っている。屠殺場にドナドナされるブロイラー鶏のような諦観。東京の満員電車は人を悟りの境地に連れていく。

東西線はラッシュ緩和のための「東西線早起き部」という取り組みを行っている。ピークを外した時間帯に利用することでキャンペーンの応募資格やポイントが貰える仕組みで、その広告が方々に貼られているのだが、アレ本当にムカつくので今すぐ辞めてほしい。インフラ問題の解決をマンパワーに預けるな。

通勤ラッシュ時の社内の殺伐度もものすごい。ヘヴィメタの帝王オジー・オズボーン

Crazy, but that's how it goes

狂ってる だがそんなもんだろう

Millions of people living as foes

何百万もの人間が敵として生きている

と『Crazy Train』で歌っているが、まさにその通り。マーケティング戦略として坂本九の『上を向いて歩こう』が海外では『SUKIYAKI』と無残な名前に変更されて売り出されたように、『Crazy Train』も『満員電車』にネームチェンジして日本で売り出せばいい。


Ozzy Osbourne - Crazy Train (1980)

電車の中は日本中の親の仇同士が一堂に会してんのかと思う程の殺気。一触即発の大バーゲンセール。日本の幸福度ヒートマップをリアルタイムに作成したら朝の電車ベンタブラックくらい真っ黒でしょ。満員電車で幸福でいられるわけがないのだ。

そういえば以前、まさに幸福な風景が満員電車の闇で塗りつぶされるような象徴的な出来事があった。

いつも通り通勤電車に乗っていると、普段はあまり見かけない学生グループがいた。中学生くらいの4,5人の女の子たちだった。ドア付近で固まり、何やら話しながらケラケラ笑っている。最も乗車数の多い駅の手前だったので、混んでいるとはいえ車内には若干の余裕がある。満員電車が珍しいのか、混雑すら楽しんでいる風であった。

だが、駅に到着する度、じわりじわりと彼女たちの笑顔はこわばり、そして遂に物言わぬ人形となった。ひたすらに身を寄せ合っていた。場違いな笑顔が、行き交う群衆に揉みくちゃにされて、ボウとしたような、それでいて張りつめた緊迫感のある表情に変わっていった。大人になるってこういうことなのかな。朝から虚しい人生観もポロリ。

推察するに、乗降車の際のリーマンモッシュに命を持っていかれたと思われる。駅到着時は自分の降車駅やポジション等関係なく、群衆の動きに身を徹底的に委ねる流しそうめんムーブに徹しないと、ドアに押し掛けるリーマン達の群れに蹂躙され轢死の最期を迎えることになる。

恐らくラッシュ電車に乗りなれていない彼女たちは、乗降時に人に押し出されまいと踏ん張ってしまっていたのだ。結果、モーレツ世代のおっさん達のモーレツタックルを浴びていた。弾きだされていた。

降車する人の妨げにならぬよう努めるのは確かにルールだ。色んな意味で守った方がいい。ただ、それは別に規範とかルールに従うべきというより、ラッシュ時の電車においては自分の命を守るために行った方が良い。

そんなわたしの降車時の心象風景は映画『ライオンキング』のシンバの父ムファサが、渓谷でヌーの大群に踏み殺されるシーンである。一寸先はムファサ。

もう終わるのでここで一句。

東京で サバンナ見たり 社畜かな。

片田舎のファンキーとモンキーとベイビーは今日も方向性の違いで揉めている

正月に帰省した時、母と話していると父方の祖父の話題になった。近所のおっさんと取っ組み合いの大ゲンカをしたらしい。記憶では祖父はもう80になろうかという年齢だった気がするが、何がどうなればおっさんと齢80間近のジジイが組み合うことになるのか。相撲大会でもあるまいし。

うちは開業医をしているので1階が医院、2階が自宅という作りになっており、医院の駐車場を挟んだ敷地内に祖父母の一軒家が建っている。スープが冷めないどころか熱々で舌ベロベロの徒歩10秒圏内に祖父母が生活しているが、現在我々と祖父母の関係は断絶している。両親はもう数年まともに祖父母と会話をしてないらしい。兄弟は知らんが、わたしも滅多に実家に帰らないのもあってか言われてみれば祖父母と数年顔を合わせていない。

面倒なので詳細は省くが、父方の祖父母はちょっと頭がヤバめのファンキーモンキーベイビーズなのだ。なんというか、ネットで「田舎の嫌なところ」と検索すると「詮索好き」とか「排他的で頑固」とか「男尊女卑の風土」とか色々出てくると思うが、とりあえずそのへん全部当てはまると理解してくれりゃいい。そういう性格からかしょっちゅう近隣住民と小競り合いを起こしていたのは時折聞いていたが、取っ組み合いは初である。

中国地方のファンキーモンキーベイビーズのファンキー部分を担う祖父は畑を持っている。片田舎にある畑は、地続きの同じ土地のように見えても、実際は全くの他人同士が区画ごとに権利を保有している場合がある。祖父も、近所にそのタイプの畑を持っている。土地を隔てる目印はというと、簡素な杭だけで区切られているだけのことが往々にしてあるのだ。

大抵は、上手にお隣さんと付き合いながら問題なくやれるはずだが、そこは我が家のファンキー担当。常識が通用すると思ったら大間違いである。推察するに「もうちょい敷地欲しい」と思ったであろうじいちゃんは、敷地を区切る杭を、微妙に相手側にズラしていくという非常にこすっからい手口で領土の拡大を図ろうとしたらしい。当然相手も気付いて元の位置に打ち直し、それをまたじいちゃんがズラし、と驚くほど地味な攻防を繰り広げた後に、相手方がブチ切れ、逆切れしたじいちゃんもブチ切れ、そして取っ組み合いに至ったそうである。

そらそうだわな、と缶ビール片手に話を聞いていた。ここでいう「そらそうだ」は「そら(他人の領地奪おうとした挙句に逆切れかましたら、相手方も会話ではなく拳という手段を取り)そうだ」の意である。決してじいちゃんに肩入れしたわけではない。わたしにもファンキーの血は受け継がれているとは言え、血の運命にも抗い続けていく気持ちはある。

近所の方から我が家に通報があったらしい。「あんたとこのじいさんが取っ組み合いの喧嘩してるで」と。ここらへんの田舎ネットワークに関しては光通信よりも早い。警察をブッ飛ばして直接家に電話がかかってくる。都会だとこうはいかないでしょう。

昼時、父は診察中だったらしいが、喧嘩を止める方を優先したらしい。ここは医師である父の判断が正しかっただろう。風邪やら腹痛やらは十数分放っておいても死なないが、この喧嘩は放置すると人死にが出る。もちろん死ぬのはうちのじいちゃんである。

徒歩5分の畑までの道中を、父は白衣にサンダルで駆けていったそうだ。光景を想像すると北野武山田洋次が撮りそうな感じで良い。是非土手を走る父を引き目のパンで撮って欲しい。

ファンキーの元にベイビー担当も到着。担当というか、文字通りファンキーのベイビーが到着。詳しくは知らんが、ファンキーもベイビーもまだピンピンしてるので何とか場は収まったんだろう。騒動に登場しないモンキー担当の祖母が何をしてたかというと、恐らく家で寝てたであろう、とのことである。

ファンキーとモンキーとベイビーたちの血を引き継ぐわたしが言えることは一つ。

はよ解散しろ。

以上である。

タバコに火を灯す姿は祈りの所作に似ている

夜に吸うタバコは格別なのだ。喫煙者なら何となく分かってくれる気がしているが、タバコが旨いシチュエーションは、夜・冬・海、この3つである。キリスト教における父・子・精霊の三位一体と同じ図式でこれはもう確立している。天におわすはニコチンモンキー神。父なる神ニコチンモンキーは、ヤニが切れたる時、大地に怒りのシケモクを降らせるであろう…。

かつてタバコを吸いだした時も夜に喫煙することが多かったので、その思い出による刷り込みもあるかもしれない。父が喫煙者だったのだが、一時期は一日2,3箱吸っていた。ニコチンの害を測るための実験用モルモットでさえ吸わされない量のタバコを毎日飽きもせずスッパカスッパカ吸っていた。未成年のタバコ喫煙や購入への社会意識もまだガバガバの時代だったので、父のタバコが切れると小学生のわたしがよく近所のタバコ屋まで走らされたものだった。

初めての喫煙は父のマイルドセブン8ミリをちょろまかして吸った高校一年生の頃であった。両親が寝静まった深夜3時頃、自室からベランダに忍び出てタバコに火を点けた。注意深く吸ったので噎せることは無かったが、初めてのタバコは苦い塊が喉の奥に詰まったような感じで、最低にマズかった。

だが、わたしの目的は「煙を出す」ことだったので、味は問題ではなかった。恐らく赤子、いや胎児時代から母を通じて副流煙に晒され続けたわたしは、生まれながらにしてニコチン中毒の鬼子だったのだろう。殺人鬼に育てられた子が人の生首で無邪気にサッカーボールをするように、わたしも母の乳房の代わりにタバコを吸い、タバコでジェンガを組んで遊んだ。それは嘘だが。まあ、そんな感じだった。タバコの煙や匂いに嫌悪感は無く、むしろ落ち着く香りだった。

そして、人がタバコを吸うのを見るのが好きだった。これは多分母方の祖父が原因だ。幼少時、祖父がタバコの煙で輪っかを作って見せてくれたのが、とても楽しい思い出として脳裏に刻みこまれた。これは今でもわたしの「人の喫煙姿」へのフェティシズムとして強く残っている。愛する孫を楽しませようと何気なく作ったタバコの煙が、孫の喫煙習慣だけでなく性癖までも形成してしまった祖父の無念はいかばかりか。多分天国で嘆いていることと思われるので、この場を借りて謝罪する。じーじ、ごめんなさい。地上ではタバコ税の値上がりが半端ではありませんが、禁煙する気は一切ありません。届けこの想い、紫煙に乗って。

それから時々、親の目を盗んで深夜のベランダでタバコを吸うようになった。味はやはり最低だったが慣れた。真っ白な煙を吐き出して、それが夜の闇に滲んで溶けていくのを見るのが何よりも好きだった。隠れて悪いことをしている状況もスパイスとなり、深夜の秘密の喫煙は、初めてわたしに与えられた自由の象徴のように思われた。

 いつものようにベランダから車の通らない国道をぼんやり見ながらタバコを吸っていると、わたしは一つのことに気付いた。タバコを吸うと、妙に夜景が煌めいて見えるのである。俗称では「ヤニクラ」と呼ばれる、喫煙で血流が阻害され生じる貧血状態による軽い眩暈様の症状だったと思われる。当時のわたしもそれは知っていたが、煙を肺に入れることにも慣れたばかりの、あの何とも言えない圧迫感。それが胸に満ちた後、息を吐くと夜色の水に白い絵の具を垂らしたように煙がブワッと視界を隠し夜に帰っていく、そして訪れる軽い浮遊感と、何重にもなって網膜に反射する街灯や信号機の光。恍惚感が尋常じゃなかった。どーせ酷い乱視なんだから素直にメガネぶん投げて夜景見てろよという話であるが、ヤニクラトリップ中の女には馬耳東風。

喫煙の違和感にも慣れて調子に乗ってきた時期だった。バニラの香りがする自分用のタバコも机の引き出しに隠し持っていた。変哲の無いただの街灯や信号機や道をゆく車のヘッドライトが、金平糖のように乱反射して揺らめく景色を見たい一心でタバコを吸っていた。その頃には身体もタバコに順応しつつあり、一本吸った程度ではヤニクラにならなくなっていたので、立て続けに吸うしかなくなっていた。耐性がついてしまったヤク中の廃人ロードと全く同じフローを辿っていて本当に恐ろしい。

連続して10本程度吸った時だったか。わたしの身体に異変が起きた。ものすごい気持ち悪くなった。完全に吸いすぎである。ニコチンモンキー神よ、あなたにヤニをお返しします…とばかりに煙を天に捧げ続けたわたしだったが、いつしか敬虔な気持ちを忘れ、自己の快楽に浸っていたわたしに天罰が下ったのである。

トイレで思いっきり吐いた。吐いた後も心臓がバクバクし、手足の末端から血の気が引いていく感じが強烈な吐き気と共にしばらく続いた。ニコチンモンキー神に命まで捧げるところだった。ニコチン原理主義者の悲惨な末路。

痛い目を見て反省したわたしは、ニコチンモンキー神への祈りはそこそこに留めることに決めた。もうベランダからのあの鮮烈に美しい夜景は見えないが、神に祈らずとも美しいものを見れることを知った。時々、吸いすぎて気持ち悪いのに、それでも次のタバコに火を点けてしまう時がある。あれは、いつか見た神の世界への回帰を諦めきれないわたしがそうさせるのか。それかわたし自身がニコチンモンキー神へと進化しようとしているのか。多分後者。ヤニクラトリップを経て神に至る。教義は「ひとのときを想う」。

ダメンズセンサーは今日も胡蝶の夢を見る

大学の時のアヤという友人が東京に遊びに来るというので、時間を合わせて飲みに行った。互いに近況報告をし合ううちに、アヤの恋人の話になった。わたしの上京前から付き合っていた人とまだ続いていたらしい。

「誰が誰か分からん、久しぶりに会ったから頭ごっちゃになってるわ」
「え~アヤいっぱい話したやん」
「覚えてない。でも長いね。良い人なん?」
「うん。黒ずみも『わたし全然タイプじゃないわ』って言ってたし、絶対良い人」

ん?どゆこと?となったので尋ねると、要するにわたしがダメンズ大好き人間であるので、わたしの好みではない人間はとりあえず「ダメンズではない」という最低限の保証を受ける資格がある、ということらしい。

「なるほど…」

特に反論も無い。わたしのどうしようもないダメンズ好きは友人、先輩、恩師、母親などに漏れなく知られている。自他ともに認められる立派なダメンズウォーカー。文字通りクソの役にも立たないこの性質が、ダメンズセンサーとして人のお役に多少なりとも寄与するならば、それもまたダメンズ冥利に尽きるというものである。

ダメンズ好き活かして恋愛占い師にでもなろかな。恋人と一緒に来てもらって、わたしのタイプじゃなかったら『大丈夫、自信を持ってお付き合いなさい』、タイプだったら『やめとけ』って言ってあげる仕事」

わたしの与太話にアヤはケラケラと無責任な笑い声をあげて、恋人が待つ大阪に帰っていった。

ダメンズ好きのわたしの初恋は高校1年生の時であった。古文と漢文を受け持つ、佐藤という教師で、35歳くらいだった。飄々とした人物で、色素の薄い瞳と髪の毛が印象的だった。

女子校における常であると思うが、基本的に40歳くらいまでの男性教師には多かれ少なかれ恋慕を寄せる生徒がいるものである。というか男であれば、最低1人はその教師のファンがいた。顔はブス、頭もハゲ、腹も出ているし人格も大して良くない、という教師でも、探せば一人は「あの先生好き」という生徒がいた。

佐藤先生は若干の癖の強さがあったので、爽やかイケメン系教師の人気には劣るものの、その代わりに根強いファンを抱えるタイプの教師だった。好きになったきっかけは忘れた。ただ、「わたしに興味が無さそうな人」を好きになる最悪の性質を持っているので、そのへんに起因する恋心だった気はする。

あと、ある時、全生徒が突然体育館に呼び出され、物々しい教師たちの雰囲気に生徒たちが気圧されつつ始まった議題が「ガムの包み紙がトイレに捨てられていた」というゴミのような全校集会があった。綿菓子よりも軽いトピックスを人死にでも出たかの如く重く語る教師たちの演説の最後に、佐藤先生が前に立った。彼はご両親を早くに亡くされていたようだった。親やら教師やらへの反抗期真っ盛りのわたしたちに、佐藤先生は「自分を大切に想う人がいる尊さを自覚し、きちんと生きろ」というようなことを15分程で話した。たかがガムの包み紙一つを起点にビッグバンのような拡がりを見せる佐藤先生の主張にわたしはちょっと笑っていたのだが、周りの生徒は戦時中の経験談を語る老婆に相対しているかのような真面目な顔で聞き入っていた。当時のわたしの家は腐ったトマトのようにグズグズだったので、「家族を大切に」みたいな美辞麗句は嫌いだったが、何故だかその話は印象的だった。家庭にも様々な形があり、そこでの愛を伝えきれぬまま持て余すことの寂しさを、妙に上から目線で語る佐藤先生に不思議と共感を抱いた。

ある日、国語系教科の係だったわたしは、放課後古文の課題ノートを集めて教師の作業場のような所定の小部屋に置きに行くと、佐藤先生が一人で座っていた。ノートの束を手渡して部屋を出ていこうとするわたしを、「全部採点して今返しちゃうから」と佐藤先生が呼び止めた。向かいの席に座り、採点が終わるのを待つ。正直、ほぼ話したことも無かったので無茶無茶緊張していた。沈黙が蔓延する小部屋から早く逃げ出したかったが、それを悟られるのも嫌で、採点作業に勤しむ佐藤先生のボールペンの動きをひたすら目で追っていた。

突然「俺幽霊見えるんだけどさあ」と佐藤先生が口を開いた。急に中二病みたいな話題を持ちかけられ動揺したが、黙って続きを聞いた。佐藤先生はこの校舎で体験したいくつかの心霊話を、採点中のノートから目を離さずに淡々と話した。

「幽霊見て怖くないんですか」
「怖いときもあるけどね」

「けど何だよ」と思ったが、どう話せばいいか分からず黙り込んでしまったので、話はそこで終わり、再び訪れた沈黙に我々は浸っていた。採点は10分程で終わった。「待たせちゃってごめんな」と机に目を落としたままノートをわたしに手渡した佐藤先生に、「大丈夫です」と先生のつむじを見ながら返事をした。「頑張ってくださいね」と部屋を出る時に付け加えて、横開きのドアをことさら注意深く静かに閉めた。

それがきっかけというのでもないが、わたしと佐藤先生はたまに話すようになった。当時軽音楽部の部長をしていたわたしは、部室のカギを返しに必ず職員室を訪れていたので、佐藤先生がいる時はたわいもない話を5分10分程度してから帰るようになっていた。その頃は本を狂ったように読んでいたので、主に今読んでいる本の話題が主だった。面白い本を貸し借りするようにもなった。

わたしは鮮明な夢を見る。特に現実での想いや悩みや感情がモロに反映されるタイプなので、当然強く憧れを持っていた佐藤先生もよく夢に登場した。内容はと言えば、廊下ですれ違いざまに挨拶できて嬉しかったり、放課後話そうと思ったら他の生徒に囲まれていて残念だった、というような現実世界から1ミリの進歩も見られない夢ばかりだったが、それでも得した気がして、そういう夢を見た日は珍しく良い目覚めを迎えていたりした。

漢詩か和歌か忘れたが、昔の誌歌の世界では、「自分に想いを寄せる人が夢を通じて会いに来る」と、夢に登場する異性は「自分を好きな人」とする文化があったらしい。授業で習った時は皆「ストーカーの理論や」と笑っていたが、わたしはそれがとても心に残った。バカらしいと思いながらも、「あー夢を通じて会いにきてくれた」と思い込んで朝の目覚めの憂鬱さをごまかしていた。

高校を卒業し、大学に入り何年もしたあとも、時々佐藤先生は夢に出てきた。相変わらず、廊下で挨拶できたできないで一喜一憂する、高校生のままの夢の中の自分に「進歩ないな」と苦笑しつつも、気分は良かった。

ある時、高校の友人から「佐藤先生が亡くなった」とのことで通夜やら何やらの連絡が来た。バイク事故だったらしい。佐藤先生が結婚式を挙げた一週間程後のことだった。結婚したらしいこともその時聞いた。

通夜にも行かず、また仕様もなく悲しい気持ちも特に抱かなかった。もうわたしは大学生として新しく大阪で生活を始めていた。大して深い交流があったわけでもなく、卒業してから会うこともなく数年が経っていた。ただ、何となく貸しっぱなしにして返してもらうのを忘れていた数冊の本は、もう二度と返ってこないな、と考えていた。

その後も時々佐藤先生は夢に出てきた。夢の中のわたしは高校生のままで、やはり挨拶で一喜一憂したり、読んだ本の感想を佐藤先生に熱弁したりしていた。目が覚めてから、佐藤先生がもうこの世にいないことを思い出し、「好きな人に夢を通じて会いにくる」なんてやっぱり大嘘やん、と当たり前のことを寝起きのぼんやりした頭で改めて認めていたりした。

佐藤先生の死後も二年ほどは頻度は少なくなったとは言え、同じような夢を見ていた。ある時、夢の中でわたしは「夢を見ている」と自覚があるまま動けていた。部活の朝練前の、白々しい朝日に照らされた人気の無い校舎に一人立っていた。よくすれ違っていた階段の踊り廊下でわたしは佐藤先生とすれ違い「おはようございます」と挨拶した。佐藤先生はいつも通り、特に目を合わせることもなく「おはよう!」と一言わたしに返して、階段を上っていった。既に死んだ先生と話すチャンスなので、追いかけて声をかけようとしたが、やはり緊張して何も言えないわたしは黙って先生が階段を登りきるまで、その背中を肩越しに追っていた。顔は一度も見れなかった。

目が覚めて、「惜しいことをした」と思った。誰にも侵害もされず、思い通りにできる夢の中でくらいもうちょい勇気出して何やらしろよ、と自分のヘタレ具合にうんざりする。

それからも時々佐藤先生の夢は見たが、わたしが「佐藤先生は既に死んでいる」という自覚がある以外は内容やストーリーに変わり映えも無く、そして佐藤先生も次第に夢に出てこなくなっていった。

やっぱり夢は夢を見る本人の思いが反映されているだけであって、想い人が夢を通じて会いにくるとかロマンチックな話なんて無いよ佐藤先生…と、随分昔の授業内容にツッコミを入れながら起きる朝の度、それでもこうして誰かの夢に登場し続ける佐藤先生を少し羨ましく思うのである。

クラスメイトをぶん殴った手で、自分にメールを打つ

冬の時期、居酒屋に行くと壁にズラッとサラリーマン達のコートがかかっている。「サラリーマンの抜け殻だ」と思う。仕事終わりにコートとジャケットを脱いで一介の人間として羽化。真冬でありながら真夏の風物詩を感じることが出来る一つの光景。せいぜい数時間でまたジャケットとコートを着直してサラリーマンに戻っていくのも面白い。短命なところも蝉と似ている。

忘年会・新年会シーズンの飲み屋街は活気に溢れている。街を彩るネオンも心なしか明るく感じる。「平成女学園」という風俗の看板もピカピカ光っている。多分偏差値20くらいの小さな学園。平成ももう終わるが、名前はどうするつもりなのか。

タクシー運転手の狩場と化したネオン街を、酔っ払いたちを横目で見つつ歩く。東京に出てきて約1年が経とうしているが、気軽に飲みに誘い合える友人がいる喜びを噛みしめている。

昔から友人が多い方ではなかった。中学・高校は行きたくもなかったカトリック系の女子校に親に無理やり押し込まれ、モチベーションも低かった。女も男も、集団になると碌なことがない。

中学では入学後すぐに風邪を引き、二泊三日くらいの新入生オリエンテーションに途中からの参加となった。半日もあればグループは出来る。だが同室の女子二人は途中参加のわたしにも優しく接してくれた。急速に仲良くなり、三人でつるむようになった。だが、数か月もすると何故か二人の片割れにガッツリいじめられるようになった。自分の親はヤクザであると主張する女であった。

無視や悪口、通りすがりの肩ドン等いろんな嫌がらせがあったが、一番ダルかったのは他のクラスメイト達に「黒ずみがあなたの悪口言ってたよ」と大嘘を吹聴されることだった。ただ、大して話す機会の無いクラスメイト一人一人に誤解を解くのも変な話だし、何より面倒だった。相手も浮いた存在だったので、嘘を信じ込む人もあまりいないだろうと判断した。

しかし、アレコレと鬱陶しいことを続けてくる女にいよいよ我慢ならなくなった時、わたしたちは激突した。

放課後の教室で、女はクラスメイトと数人でお喋りをしていた。わたしが教室に入ると、女は大きな声で「あ~うざいの来たわあ」などと言っていた。いつも通り無視していたが、しつこかったのか何かが逆鱗に触れたのか忘れたが、わたしは突然キレた。女の顔を思いっきりビンタして全速力で逃げた。後ろから「待てやテメエ!」と正気に戻った女の怒号が追いかけてきたが、無視して走った。あの時のダッシュを計測していたら、きっと人生最高のタイムが出ていたことだろう。

当然ながら先生にチクられた。翌日職員室に呼び出された。だが、いじめが始まった早い段階から既に都度チクりを入れて先生を味方につけるという、コスい方法で手を打っていたのであまり怒られなかった。先生たちも、寮で他の生徒とベッドの中で裸で何やらやっているのがバレて停学処分を食らったり、親からの差し入れのウイスキーボンボンを丸々一箱食べて急性アルコール中毒を起こし救急車に搬送されたりしていた女よりも、わたしの方を信用していた。

「グーじゃなくてパーで殴ったし、耳もちゃんと避けました」と自分の暴力の正当性を主張するわたしを、先生はシンプルに「でもダメでしょ」と窘めた。わたしたちは二人揃って呼び出され、お互いに謝って握手をするように命令された。わたしはきちんと謝罪したが、女の態度はふてぶてしさに溢れていた。wikipediaの「全く反省していない態度」の項目記載の出典を、その女の名前にしていれば通用するような振る舞いだった。先生の何度目かの催促の後、女は「ごめんなさい」と言った。正確には、声が小さすぎて聞こえなかったので「ごめんなさい」というような口唇周辺の筋肉の微細な動きが見えた。「聞こえねえよ」と言うと女は「アア!?」と突然大声を出したのでビックリした。肺活量の使い分けが巧みな女と、わたしは握手を交わした。互いに握力測定をしているような、全力での熱いシェイクハンドであった。

中学二年にあがる頃、初めての携帯をあてがわれた。兄のお下がりだったが嬉しかった。クラスメイト達も大半は携帯を既に持っていたので、メアドも交換してやり取りに勤しんでいた。

わたしは悩みがあった。中学生女子にありがちな他愛もないものから、どヘビーなものまで。基本的にあまり人を信用していないのと、気軽に話せる内容でない悩みもあったため、一人で悶々としていた。だが、とにかく誰かに吐き出してしまいたい欲求は消えずフラストレーションは溜まる一方だった。

考えあぐねたわたしが出した解決法は、「自分で自分にメールして悩みを聞いてもらう」というものだった。頭がおかしい自覚はあったが背に腹は代えられない。

わたしは早速、自分のメールアドレス宛に「こんにちは」とメールした。メール送信完了の通知が出ると同時にメール受信の通知が来る。まあ、当然なんだが。自分で自分に「こんにちは」もないと思うが、最初は形式から入るべきと考えた。相手が自分であっても礼は重んじねばならない。わたしは自分が出した「こんにちは」というメールに「こんにちは」と返事をした。世界で一番やるせない挨拶の応酬であった。すぐにこれだと話が進まないと気付いたので、早速悩みをつらつらと書き始めた。丁寧な挨拶の直後に死ぬほどヘビーな悩みを長文で相談する情緒不安定さはこの際無視することにした。自分は自分ともう十数年の付き合いなんだから、親友みたいなもん!と脳内で再定義した。

わたしは真剣に悩みをメールし、相談相手役のわたしも真剣に悩みに応えてくれようとした。単純な共感や同意ではなく、解決に向けた建設的な議論を求めていた。相談役のわたしも、わたしの思いを汲み取り、時に優しく、時に厳しく相談に乗ってくれた。わたしたちのやり取りは毎日続いた。

そしてわたしたちは喧嘩した。「悩んでたって仕方ないやん」という相談相手役のわたしの言葉にカチンと来たわたしが、「あんたに何が分かんの」と吹っかけたのである。何が分かるというかその相談相手はお前だ。これ以上最高の理解者などいない。

だが、一度噴出した不満は止まらなかった。お互いに、嫌だと思っていたことを手当たり次第にぶつけ合い、わたしたちは等しく傷だらけになった。「もういい」と一言メールを送った。返事は来なかった。わたしたちはそれぞれ、一人の親友を失い、取り戻すことは二度と無かった。

この世で最も不毛かつしょうもない二人の物語である。

わたしの人生から「島んちゅぬ宝」という歌を奪ったバイト先のセクハラジジイ

大学2回生のわたしはバイトを探していた。

一年ほど梅田でバーの店員をしていたが、暑い日も寒い日も雨の日も風の日も、夜な夜な東通り商店街のド真ん中に立ち、キャバクラやら風俗やらのキャッチの黒服に混じって客引きをさせられるのが億劫になってきていた。徳永英明に顔と声が似ている店長に「笑顔でな」と言われ、全力で表情筋を引きつらせながら声掛けをしたリーマン達に「君なんでそんな真顔なの?」と聞かれる一連の流れにも飽きていた。

ある時キャッチで引っかけた一見ジジイがわたしをいたく気に入り、彼は週2~3で来店する見事な常連セクハラジジイへとメガ進化した。そのジジイからの執拗な胸や尻への接触を、一身に引き受けている状況も気に食わなかった。

カラオケが設置されているバーだったのだが、歌好きらしいジジイは毎回大いに活用していた。「島んちゅぬ宝」が十八番だった。まず「島んちゅぬ宝」をジジイが歌ってから、今井美樹の「PRIDE」をデュエットさせられるのがお決まりだった。ジジイはカラオケの最中もセクハラの手を決して緩めなかったので、「島んちゅぬ宝」を聴きながらセクハラを受け続けるという責苦を強制的かつ長期に受け続けた結果、わたしは「島んちゅぬ宝」を受け付けない身体になった。聴くと鳥肌が立ち、ボトルラックの間接照明に照らされた薄暗い店内の光景と、ジジイの顔がフラッシュバックするようになった。トラウマにおけるパブロフの犬状態。

今井美樹の「PRIDE」を歌う時、ジジイは「貴方への愛こそが 私のプライド」という部分で必ずわたしの目を見つめてきた。海坊主によく似たジジイに微笑み返しながら、わたしは表しようのない人間というものへの怒りと失望を胸中で膨らませ続けていた。わたしのプライドは粉々に砕かれていた。

ある日、どことなく神妙な顔をしたジジイに愛人契約を持ちかけられた時、わたしはバイトを辞める決心をした。「癌で死ね」と、具体的な死因までを規定した上で人の死を願ったのは初めてだった。外では道行く人の外套が色づき始めていた。季節は春を迎えていた。

バイトを辞めてしばらく経った。とうの昔に春は過ぎ去り、青々と茂った枝葉の影でセミたちが羽を震わせていた。貯金も減ってきていた。というか、バイトしていた店の真横に大学に入りたての時から通い続けていたバーがあり、深夜にバイトが終わるとそこに直行し朝まで飲み、その日稼いだ分を費やすという徒歩10秒圏内の地産地消生活をしていたので、大して金も貯まっていなかった。右の店のレジの金を左の店のレジに移すかのごとく、宵越しの金を持たぬ日々だった。華の女子大生のはずが武士のようなライフスタイル。

そんな折に友人がコンビニバイトの話を持ちかけてきた。バイト先のセブンイレブンが人手不足のようだ。夫婦二人、妻が店長、夫がオーナーのフランチャイズ経営の店らしい。渡りに船とばかり、友人に頼んで面接をセッティングしてもらった。マジで人が足りていなかったのか、面接開始3分での即時採用だった。面接相手は店長だった。

「よろしくお願いします」と頭を下げたわたしに、店長は「女の子だからって、ちゃんと働かなくていいとか力仕事しないでいいとか思わないでね!」とキツい口調で言い放った。割と真面目に働く人間なので毛頭そんなことは考えていなかった。女という、ただそれだけの理由で未だ犯さぬ罪を先回りして怒られる#me too案件を唐突にふっかけられたわたしだったが、チキンにもなれぬヒヨコメンタルであるので、「意外と力持ちなんで大丈夫です」と返事をした。ちなみに力仕事は無かった。

そして更年期障害の店長との戦いの火蓋は切って落とされた。ジジイに悩まされる日々が終わったと思ったら次の敵はババアだった。

コンビニの業務には「フェイスアップ」と呼ばれる重要な業務がある。弁当やおにぎり等、客が買ったり手に取ることで陳列が乱れてくるので、商品を見やすく、手に取りやすいように整える作業だ。特に弁当類は細かく廃棄期限が設定されているので、期限が近いものをより見えやすい場所に配置する等の小技も求められた。大して忙しくもない店だったので、暇を持て余すとフェイスアップばかりしていた。いかにおにぎりを真っ直ぐ並べるかに命をかけていた。

ある日の昼下がり、店長に弁当コーナーに呼びつけられた。昼ピークも過ぎ、次の搬入もまだだったので弁当やおにぎりは売り切れ、ガランとした清潔な棚が蛍光灯で照らされていた。幕の内弁当が一つだけ売れ残っていたが、複数廃棄が出るのが当たり前な普段のことを思うと、むしろよく売れていた方だった。

「何ですか」と問うわたしに、店長は目を三角にして棚に一つ取り残された幕の内弁当を指さしながら「このお弁当が売れ残ったのはね!あなたのせい!」と言った。倒置法を使ってまで弁当が売れ残った原因がわたしであることを強調された。「そんなわけねえだろババア」と思ったが、一応「何でですか」と問い直した。

店長の言い分によると、フェイスアップをわたしが怠ったことで、哀れ幕の内弁当は客に選ばれず廃棄処分の運命を辿ることになったらしい。ただ、わたしは本当に隙を見てはフェイスアップ作業をしていたので、当然その幕の内弁当も見えやすい所に並べていたし、残り商品が少なくなってきた時点で最も目立つスペースに置いていた。その幕の内弁当が売れなかったのは、幕の内弁当に魅力が足りないか、客がこぞって幕の内弁当に意地悪をしたか、そもそもお前の発注センスが悪いかのどれかである。絶対にわたしのせいではない。

と思ったが面倒なので「すみません」と謝った。店長はプリプリしながら再びバックヤードに引っ込んでいった。

ここまで散々な描写で書いているが、このバイトは楽で好きだった。店長も、機嫌が悪い日はただのクソババアだが、ご機嫌な時は帰り際に廃棄のお弁当やらパンやらをニコニコしながら沢山持たせてくれた。「今日はおまんじゅうが余ったの!食べなさいね」と手渡された大して好きでもないまんじゅうを、「おいしいです」と言いながら完食してみせたこともあった。時間帯があまり被らなかったので会う機会は少なかったが、店長の夫であるオーナーも優しかった。常に笑顔を絶やさず穏やかなオーナーをして、「君の遅刻はもうアレだ、大陸の問題だ」と地球規模感のあるガチ切れ台詞を言わしめた、遅刻癖がヤバい同級生のバイトともすぐに仲良くなった。

採用翌日の就業時間中に蜃気楼のように姿を消し、そのまま飛んだ中富くんという男の履歴書が、就業前に読まされる標語の書かれた額縁の横に貼りつけられていたのも面白かった。ちなみに中富くんは大学の喫煙所でたまに会うことがあったので、「店長たちブチ切れで履歴書が晒し首にされてるよ」と報告すると、「もう俺あのコンビニ行けねえなあ」と言っていた。その数日後、中富くんは深夜にバイト先のコンビニに来店し雑誌を立ち読みしていたが、オーナーがバックヤードから店内に出た瞬間に猛ダッシュでチャリに飛び乗り暗闇へと消えていったらしい。

客も色々いた。スポーツ新聞を買っては「俺は金本のアニキと一度居酒屋で飲んだことがある」という自慢話をレジ前でしていくおっさんや、意志すら感じさせる毅然とした態度で「レシートいりません」と毎回宣言をするレディコミ牛乳コーヒー女、目当てのタバコが近隣コンビニで見つからないことにブチ切れながら来店し店内にいたわずかな客を一掃したヤクザなど、レジカウンター越しに訪れる刹那的な出会いは気楽で愉快だった。

バーでバイトしていた時のストレスから解放され、わたしは1年程そのセブンイレブンでのんびりと働いた。業務種類の多いコンビニでの仕事も覚え、朝ピークのクソ忙しい時に郵送のゴルフバッグを持ち込むおっさんに心中ブチ切れながら客を捌くことも出来るようになっていた。ベテランのおばちゃん店員たちとも仲良くなり、高校生の娘と親子でバイトしている女性の家に招かれて晩御飯を頂いたりもした。

就業前に着替えている時、店長に声をかけられた。

「あなた、時給が上がるからね!」ニコニコ顔で言われた。

「ほんとですか!」わたしもニコニコ顔で返した。

「そうよ~、最近あなた頑張ってるからね」

「ちなみにいくら上がるんですか?」

13円だった。バカらしくなって辞めた。

サンタクロース本質主義に真っ向から立ち向かう

サンタクロースという存在はいったいなんなのか。というか、2019年を迎え新年の慶びに世間が浮足立つなか、シーズナリティ―のかけらもないクリスマスの話でブログ初めをして良いのだろうか。常に後手後手の人生。今年もしょっぱなから出遅れております!

話を戻そう。わたしはもうサンタクロースを信じていない。これは言うまでもない。この年でサンタクロースを信じているのは痛い。コリン星出身の人間ならまだしも。わたしは地球出身の地球年齢26の女なので。

ていうか最近の子どもたちってサンタさん教育はされているんだろうか。昨今の子育て事情にはとんと疎いのでこのへんの話は怖い。まだお子様だと思って「サンタさん来てくれた?」とか話しかけた子どもに「は?おばさん何言ってんのバカじゃない?」とか返されたらどうしよう。「黙れ扶養家族が!」。そう叫んで社会人パンチで子どもを地面に沈めてしまうかもしれない。そして水戸黄門の印籠のように会社支給の保険証を警察に見せる。これが扶養を抜けた社会人のパワーです、という堂々たる表情で。そしてしっかり20歳以上なのを警察に証明した上で実刑判決が下る。

まあそのへんはどうでもいい。問題はサンタクロースである。そもそも、大人たちはサンタを都合よく活用しすぎではないのか。よく「良い子にしていないとサンタさん来てくれないよ」と言うが、そもそもサンタさんに本気で会いたい子どもはいるのか。子どもはプレゼントが欲しいだけなんじゃないのか。サンタさんの後ろにあるプレゼントでパンパンの白い風呂敷にのみ焦点が合っている。親も潔く「良い子にしてないとプレゼントあげないよ」と言えばいいものを、即物的すぎる教育はいかがなものかということでサンタさんが「良い子」と「報酬」のクッションにかまされている。梱包材のプチプチみたいな使われ方。サンタさんだって人間なのに。

まあ、「サンタさん=プレゼントをくれる人」というイメージが根付いちゃった時点で、子どもはサンタさん本質主義の立場にある。サンタさん本質主義学派の子どもたちは言う。

「サンタクロースとは、『良い子』のもとに12月25日の夜に訪れ、『良い子』を全うした報酬として子どもたちにプレゼントを与える存在です。サンタクロースの訪問を受けられない子どももいるとは言いますが、これはその子どもが『良い子』ではなかった場合の例外的事例であり、あくまでもサンタクロースとプレゼントという二つの概念はアプリオリに結びついたものであり、サンタクロースの本質は『プレゼントを与える』というところにあると言えるでしょう」

ちなみに、『』の部分では演説者である子どもは人差し指と中指を曲げてクイクイッとやっているのを脳内で補足してほしい。あのポーズ大事なので。

そして、サンタさん本質主義学派があるなら、それに異論を唱える学派も当然ながら存在するでしょう。アンチサンタさん本質主義学派は言うわけですよ。

「いいえ、サンタクロースを『プレゼントを与える』存在と規定することは、サンタクロースに内在する多様性や人間性を否定する論理です。妄執的と言わざるを得ません。サンタクロースが持つ要素は、全ての人間も普遍的に有しているものでもあります。『プレゼントを与える』という、親でも、恋人でも、友人でも、どんな関係でも行え得ることを、サンタクロースにのみ本質的に属するものと断じるのは、人間社会の豊かなコミュニケーションを恣意的に限定する狭量な主張ではないでしょうか。」

この学派は便宜的にサンタさん実存主義とでもしましょうか。サンタさん実存主義学派の演説が終わった後の質疑応答で、わたしは「ゆーみんは『恋人がサンタクロース』と論されていましたが」と議論をふっかけ、サンタさん本質主義学派とサンタさん実存主義学派の両方から袋叩きにあう。「サンタクロースの一側面だけを捉えた固定的で差別的な主張である」として。

わたしは一体なんの話をしているんでしょうか。ちなみにわたしのサンタさんへの信仰は、小学生の時夜にプレゼントを抱えて部屋に忍び込んでくる父親を見て大泣きした時点で絶たれました。世のご両親は、子どもがしっかり寝付いたかどうかを確認してからプレゼントを置きにいきましょう。サンタさん恋人主義学派からの切なるお願いです。ところで、わたしのサンタさんはどこにいるんでしょうか。

肉屋のキャラクターをさせられている牛や豚の悲哀たるや

よく焼き肉屋や肉系の居酒屋で牛や豚を店のビジュアルキャラクターにしているところがある。あれはどうなんだ。見かける度に思う。適当に画像を拾ってきたがこういうやつだ。

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キャラクターにされている豚や牛もニッコニコしているが、お前わろてる場合かと思わざるを得ない。こういったイラストが人間によるデザインの産物であって、そこに牛や豚の意図が一切介在する余地も無いことは重々承知の上で、やっぱりわろてる場合ちゃうやろ、と思う。

ただ、生物というものが生存を続けていく以上は、他の生物を食べる必要がある。当然ながらそれは人間も例外ではない。特に人間の食事には「娯楽」という側面もある。どうせ頂く命なら、より有意義に消費される方が良い。となると、やはりキャラクターの牛や豚は笑顔でないといかんだろう。

「今日は焼肉にしようぜ!」と盛り上がって店前に行って、牛のキャラクターの表情が悲壮感と怨念溢れるものだった場合どうなるか。さっきまで「生センマイあるかなあ」とか「腹減ってるから5人前くらい食べれるわ~」と豪語していたサラリーマン達も皆一様に口を噤む。牛タン大好きなわたしも「そういえば牛一頭からとれる牛タンって何人前くらいなんだろう」とひっそりと牛の命を概算し出す。誰からともなく「今日は焼肉…やめとくか」と言い出し、そぞろに歩き出す。さっきまで「今日はガッツリしたもん食いたい」と騒いでいた奴は「おでんとかにしよう」と野菜と練り物に逃げ道を見出し、後ろの方では「俺さっきの牛と目合っちゃったよ」と一人が言い、「やめろよ!」と肘で小突かれているしまつ。

確かにこんな飲み会の始まりはいやだ。命をいただく大切さは食事のシーンとは離れたところで学ばせてほしい。牛や豚のキャラクターには今後もずっと笑顔でいてほしい。それが人間のエゴの象徴的表象物のひとつだとしても。

とかなんとか日頃から考えていたのだが、この間「さすがにこれは人道にもとる」と思わされた店があった。ビジュアルキャラクターがいたわけではないのだが、店の名前が「うなぎのお宿」だった。

いくらなんでも、これはいかんでしょう! 百歩譲って、肉を提供する飲食店が牛や豚をイメージキャラクターにするのは分かる。パッと見で何の肉を提供しているかが分かるし、ビジュアルにする場合そこに悲哀があっては客も引くだろう。

ただ「うなぎのお宿」は違う気がする。人道的に超えてはいけない一線をスキップでまたいでいる。だって宿って、もうそれ完全に騙し討ちでしょう。うなぎに対する。わざわざ「お」をつけてお宿とか慇懃に表現しているが、この丁寧さも熟練の詐欺師の手口の一つですよ。

うなぎの一家が新橋駅前を歩いている。年の瀬を迎え、いよいよ厳しくなってきた冷え込みと、冷たい北風が体表面のぬるぬるを急激に冷やしていく。

「お父さん、寒いよ。早くどこかに入ろうよ」

「そうしたいが、どこのホテルも断られてしまってなあ」

「やっぱりこの粘液がダメなんだよ!もう疲れたよ」

「もうちょっとだから頑張んなさい。子どもは元気でなくちゃいかん」

ぐずる子うなぎに父うなぎは厳しく接する。だが、冬を迎え、日ごとに大きく成長する子うなぎを、父うなぎは内心とても誇らしく思っているのだ(ちなみにうなぎの旬は10-12月である)。母うなぎも、あんなに小さな稚魚だったのに、こんなに生意気な口がきけるほど大きくなったのね、としみじみ。粘膜ぬらぬら。

歩を進めていくと、子うなぎが何かを発見する。

「父さん、あれ見て!『うなぎのお宿』だって!」

夜道に、「うなぎのお宿」と書かれた内照式看板が煌々と浮かんでいる。東京のこんな繁華街にも、わざわざうなぎのための宿を用意してくれているなんて、親切な人もいたもんだ、と父うなぎは感動もひとしお。店に入ると、応対もしっかりしていて、店内も綺麗だ。飛び入りでの宿泊だが、用意があるらしい。店内は古典的な日本風のつくりで趣すら感じさせる。立派な水槽まで完備されており、母うなぎなんかは平身低頭で店員にお礼を言っている。

「宿が取れて本当によかったわあ、わたしなんか粘膜が風で渇いてパリパリになっちゃったわよ」

母うなぎも寝床が確保できて安心したのか、先ほどよりも饒舌になっている。

家族で水槽に入り、ひといきつく。水温もちょうど良い。「今日は家族水入らずだな」「水に入ってるけどね!」。うなぎジョークも弾む。父うなぎは旅の疲れに意識が眠りの世界に誘われるのを感じる。父うなぎは目を閉じて考える。ここはきっと、長年うなぎを相手に営まれてきた宿なのだろう。明日、朝起きたらまた店の人にお礼を言おう。どこか遠くで声がする。こんな遅くまで店は賑わっているようだ。近所でも評判の店なのだろうか。食堂もあったようだ。明日はそこで豪華なものを食べて、また旅を始めよう。こんなに良い店なんだ、さぞかし飯も美味しかろう……。

うなぎ家族が皆寝静まった頃、店に二人のサラリーマン風の男が入ってくる。店主とのやり取りも軽妙だ。なじみ客なのだろう。

「いらっしゃい、何にします」

「お任せでいいよ」

「今日はさっき新鮮なのが3匹入ってきたんですよ。白焼きなんかどうですか」

「いいね、じゃあそれに癇つけて、あと肝吸いね」

明朝、店の看板は光を消し、通りは閑散としている。うなぎの家族が入った店から、誰かが出てくる気配は無い。騒がしかった子うなぎの声は、もう誰にも聞こえない…。

こういうことですよ。「うなぎのお宿」で毎日行われていることは。もうほんと、飲食店を始める人は店名とかビジュアルとかを決める前に、聖書とか哲学書を読むか、それか大学で倫理学を専攻した人にアドバイザーに入ってもらってください。頼みますから。

ヒロイン願望から逃れられない

ベルセルクのガッツとドロヘドロのカイマンが好きだ。

これだけで始めると「なんのこっちゃ」だと思うが、それぞれ『ベルセルク』『ドロヘドロ』という漫画作品の主人公である。

これまで、所謂「好きな異性のタイプ」というものをあまり意識したことがなかった。容姿や性格など、当然ながらあるにはあるのだが、いまいち自分の中でまとまっていないところがある。そのため、飲み会などで「好きなタイプは?」と聞かれても、その場にいる男性に寄せた忖度回答か、「優しくて面白い人」と氷が解け終えたアイスコーヒーの上澄みのようなうっすい答えしか返せてこなかった。マゴマゴしてしまう。ちなみにクラブにいる時に同様の質問をされた時だけは、確固たる意志で「クラブとかに来ない男」と答えている。ここは揺るがない。

ただ最近、漫画やらアニメやらに造詣の深い人間と飲む機会が多くて気付いたのだが、どうやらわたしはガッツとカイマンのような人物が理想の男性のタイプだ。ちなみにお二人の近影はこんな感じである。

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(左:『ベルセルク』ガッツ 右:『ドロヘドロ』カイマン)

血まみれの画像ばかりで申し訳ない。カイマンに至っては顔がトカゲなので「こいつは男性なのか?そもそも人間なのか?」という疑問に始まり、あるいは「この記事の主旨は人外フェチという特殊な性的嗜好のカミングアウトなのか?」と思われる方もいるかもしれないが、一応カイマンも人間です。説明は面倒なので漫画を読んでほしい。二つとも面白いので。

何故この二人が好きかと言うと、答えは単純だ。圧倒的な「力」に魅かれている。まずでかい。でかくて強い。あと首が太い。筋肉すごい。あと強い。でかい男性に、その強さでもって守られたいという欲望がわたしの心の奥底に根を張っている。

最近ジェンダーレス男子などという言葉も生まれ、金を稼ぎ堂々として、短髪でマッチョな所謂「男らしさ」と結びつくマスキュリニティーを脱ぎ捨てた男性たちが誕生しつつあるようだ。それについては特に思う所がない、というか社会的な態度としては歓迎なのだが、単純な「タイプ」で言うとジェンダーレス男子は好みの正反対である。スキニーとか履いてほしくない。太いパンツを着ろ。手首を鍛えろ。りんごくらい素手で潰せ。筋骨隆々であれ。そう思っている。

その点、このガッツとカイマンは全くジェンダーを失っていない。全然レスじゃない。漫画の中では事あるごとに二人の圧倒的な強さや筋肉や暴力が、血しぶきや生首や内臓と共に描かれる。男の真のアクセサリーとは、高級腕時計でもピカピカに磨かれた革靴でも、仕立ての良いオーダーメイドのスーツなどでもなく、敵の血しぶき、生首、内臓である。

男性向けファッション誌の表紙には「今年の冬は『ウール』でタフに品よくキメる」などと書かれているが、こんなもん「やかましい」の一言だ。男が生地の素材を気にするな。何がタフだ。男たるもの、素材を気にする場合は「この生地は刀や矢を通しやすいか」「敵からの火炎攻撃に耐えうる難燃性はあるか」という点にのみ意識を向けろ。素材名は知らなくて良い。「なんか燃えにくいやつで頼む」と注文してほしい。「ウール?何それ?ああ、羊毛か。じゃあ、最初っからそう言えよ」、そして背中に担いだ剣で店主を斬り殺す。

いや、さすがに二人ともこんなことで人を殺す男ではなかった気がする。妄想が肥大している。ここまでディスコミュニケーションだとデート中えらいことになってしまう。

というか、どこぞのヒロインよろしく「守られたい」などと上述しているが、日本国籍中流家庭出身の平民であるわたしが護衛されるべき脅威など無い。そもそも、文明と秩序が発達した日本社会で腕っぷしの強さを生かす機会などあるのか。いまわたしが守られたいものの対象というと、「所得税」とか「国民年金」、あとは「老後への不安」とかか。急に俗世的。この場合有効なのは剣の腕じゃなくて事務処理能力の高さとか節税の知識とか、堅実な積み立て貯金プランとかになってくる。でかさも強さも関係ない。

まあ、痴漢とか酔っ払いに絡まれる脅威に対しては多少有効かもしれない。でもこの場合、上の二人は完全に絡んできた相手を殺す。絶対殺す。なんせ「いのちはたいせつ」「いのちはびょうどう」といった社会的道徳と最も離れたところにある二人なので。

渋谷にて斬り捨てられた酔っ払いの血しぶきに濡れた服を引っ張って「もういいよぉ、行こうよお」と泣きべそかいている自分の姿が浮かぶ。そして「うぜえ」の一言でわたしも斬り捨てられる。こんなもんデートでなく冥土。なんにも楽しくない。

単純にでかくて強ければいいならプロレスラーやボクサーでいいのでは、と思うが、このへんものすごく面倒くさいところで、「強くなる/筋肉をつける」ことを目標として努力しているのは萎えちゃうのである。ちょい違うのである。要するに、敵からの襲撃や戦いから自分の身を守るための「必要に迫られた」、殺らなきゃ殺られる世界観の結果身に着いた筋肉や強さに魅かれるのであり、そこにジムや人間工学に基づいたトレーニングや食事制限が挟まると途端に「ん~ちがう」となる。

なのでわたしは「俺鍛えてんだ」といって二の腕とかを触らせてくる男はとても嫌いである。こういう手合いは同じ口で「いま減量中だから炭水化物避けてんの」とか言ってくるからタチが悪い。見栄えの良い筋肉のためにみみっちく鶏のササミ食うって本末転倒ではないか。筋肉は「目的」ではなく「手段」だろうが! 男がカロリーやらタンパク質やらを気にするな! 目の前にあるものを手づかみで食え! そう思っている。ただ、同時に「さすがにガッツやカイマンも栄養くらいは気にしてるだろうし、フォークくらい使うだろ」と思う冷静な自分もいる。理想のタイプが「強さ」とか「でかさ」とかではなく単なる筋肉妖怪に近づいていってはいないか。

こういうわけで、結局「異性のタイプ」に対する回答は固まらないまま。わたしの居酒屋でのマゴマゴは続く。余談だが、顔のタイプだけで言うとお笑い芸人の「麒麟」の川島がド真ん中で好き。川島の顔に2メートル越えのマッチョな肉体がつくと文句無いです。ついでに役所関係の手続きに明るいと嬉しい。なんせわたしの現状の敵は「年末調整」とか「源泉徴収票絡みのウンタラ」とかなので。