人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

会話に向かない喫茶店

先日、男性と銀座の喫茶店に行った。その時の話をしたい。

店内にはほぼ全ての喫茶店がそうであるように、音楽BGMが流れていた。それは良い。程よい騒音は、人の心を落ち着かせる。沈黙が続いても、耳が暇しない。だが、この店は選曲が妙だった。

ジャンルで言うとクラシック音楽だったのだが、オーケストラが演奏するタイプの曲ばかりが流れていた。普通喫茶店のBGMなら、極力絞った音量でピアノ独奏か精々カルテットを流すくらいのレベル感が主だと思うのだが、オーケストラである。音の全部乗せ。管楽器も弦楽器も金管楽器も入る。しかも音量もまあまあ大きかった。つまるところうるさかったのである。

その日は雨が降っていた。奥の出窓に面した席に通されたわたしたちは、窓から雨が降る銀座の様子を眺めながら「雨ですねえ」「雨だねえ」と情報量を増やさないスタンスで会話をしていた。その後ろでオーケストラが始まる。ビバルディの「四季」とかが流れ出す。

会話が止まる。「あれもう舞踏会の時間だっけ?」みたいな気分になる。当たり前だがここは平成の日本の銀座なので舞踏会は始まらない。しかし普段クラシック音楽に馴染みの無い平民の日常に、まあまあの音量でクラシック音楽が介入してくるととにかくソワソワするのである。

しかもクラシック音楽というのはストーリー性を持っている。wikipediaで「四季」を調べてみるとこんな風に説明されている。

協奏曲第1番ホ長調RV 269「春」(La Primavera)

第1楽章 アレグロ
春がやってきた、小鳥は喜び囀りながら祝っている。小川のせせらぎ、風が優しく撫でる。春を告げる雷が轟音を立て黒い雲が空を覆う、そして嵐は去り小鳥は素晴らしい声で歌う。鳥の声をソロヴァイオリンが高らかにそして華やかにうたいあげる。
第2楽章 ラルゴ
牧草地に花は咲き乱れ、空に伸びた枝の茂った葉はガサガサ音を立てる。羊飼は眠り、忠実な猟犬は(私の)そばにいる。弦楽器の静かな旋律にソロヴァイオリンがのどかなメロディを奏でる。ヴィオラの低いCis音が吠える犬を表現している。

 物語性が富みすぎている。(私の)って唐突に出てきているがお前誰やねんという疑問も残る。物語に勝つにはそれを超える物語でもって対抗するのが一番だが、いかんせん「雨ですね」「雨だねえ」の応酬である。勝てるもくそも内容がない。「雨が降っている、以上終わり」という話を病院食の塩分並みに薄めに薄めて30分語っている。しかも「雨⊂四季」という図式が成立する時点で負け戦なんじゃないのか。親には勝てん、という子供心が生まれる。

そういうわけで、音楽に意識を取られて全く話に集中できなかった。濃度が薄いものが濃い方に流れていく、というのは理科で習った細胞浸透圧だけでなく意識レベルでもそうらしい。

気を取り直して別の話題に移っても、無駄な抵抗だった。「わたしの友人に意識高い奴がいましてねえ」と話を始めるそばから、曲調が不穏な雰囲気に変わったりすると、もうだめだった。「先日我慢ならなくて殺してしまったんですよ」と火曜サスペンス風にオチをつけないといけないんじゃないかと強迫観念に駆られる。

男性が話している途中に「天国と地獄」(運動会のかけっこの時に絶対流れるアレ)がかかった時は、もう完全に運動会に意識が引っ張られていた。話に登場する人物がかけっこしている図しか思い浮かばない。うんうんそれで結局誰が一等賞なの?そればかりが気にかかる。

ネスカフェのCMでよく使われていた「ダバダ~(曲名不明)」というアレも流れていた。男性は「この曲ってやっぱりコーヒーに合う曲なのかなあ」と言っていたが、これは本当に意味が分からなかった。コーヒーに合う曲と思うのは、コーヒーのイメージと共に長いことCMで使われてきたからこそ、コーヒー=ダバダ(曲名不明)の刷り込みが我々日本人にあるのであって、別にこの曲がコーヒーに合うわけではないのではないか。そんなことを言った。「そうだねえ」と返された。ものの二分でひと話題が終了。生まれた沈黙は、ダバダ(曲名不明)が埋めてくれた。

結局、カフェを出てHUBに移動した。コーヒーをビールに持ち替えた。店内はうるさかったが会話は弾んだ。

まあその時も「雨ですね」「雨だねえ」レベルの会話だったのだが、「雨っすね!」「雨だわ~!」くらいのテンションには持ち直した。

結論:酒のちからはすごい。