人間がへた

誰のためにもならないことだけ書きます。半径三メートルの出来事と、たまに映画と音楽。

ヒロイン願望から逃れられない

ベルセルクのガッツとドロヘドロのカイマンが好きだ。

これだけで始めると「なんのこっちゃ」だと思うが、それぞれ『ベルセルク』『ドロヘドロ』という漫画作品の主人公である。

これまで、所謂「好きな異性のタイプ」というものをあまり意識したことがなかった。容姿や性格など、当然ながらあるにはあるのだが、いまいち自分の中でまとまっていないところがある。そのため、飲み会などで「好きなタイプは?」と聞かれても、その場にいる男性に寄せた忖度回答か、「優しくて面白い人」と氷が解け終えたアイスコーヒーの上澄みのようなうっすい答えしか返せてこなかった。マゴマゴしてしまう。ちなみにクラブにいる時に同様の質問をされた時だけは、確固たる意志で「クラブとかに来ない男」と答えている。ここは揺るがない。

ただ最近、漫画やらアニメやらに造詣の深い人間と飲む機会が多くて気付いたのだが、どうやらわたしはガッツとカイマンのような人物が理想の男性のタイプだ。ちなみにお二人の近影はこんな感じである。

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(左:『ベルセルク』ガッツ 右:『ドロヘドロ』カイマン)

血まみれの画像ばかりで申し訳ない。カイマンに至っては顔がトカゲなので「こいつは男性なのか?そもそも人間なのか?」という疑問に始まり、あるいは「この記事の主旨は人外フェチという特殊な性的嗜好のカミングアウトなのか?」と思われる方もいるかもしれないが、一応カイマンも人間です。説明は面倒なので漫画を読んでほしい。二つとも面白いので。

何故この二人が好きかと言うと、答えは単純だ。圧倒的な「力」に魅かれている。まずでかい。でかくて強い。あと首が太い。筋肉すごい。あと強い。でかい男性に、その強さでもって守られたいという欲望がわたしの心の奥底に根を張っている。

最近ジェンダーレス男子などという言葉も生まれ、金を稼ぎ堂々として、短髪でマッチョな所謂「男らしさ」と結びつくマスキュリニティーを脱ぎ捨てた男性たちが誕生しつつあるようだ。それについては特に思う所がない、というか社会的な態度としては歓迎なのだが、単純な「タイプ」で言うとジェンダーレス男子は好みの正反対である。スキニーとか履いてほしくない。太いパンツを着ろ。手首を鍛えろ。りんごくらい素手で潰せ。筋骨隆々であれ。そう思っている。

その点、このガッツとカイマンは全くジェンダーを失っていない。全然レスじゃない。漫画の中では事あるごとに二人の圧倒的な強さや筋肉や暴力が、血しぶきや生首や内臓と共に描かれる。男の真のアクセサリーとは、高級腕時計でもピカピカに磨かれた革靴でも、仕立ての良いオーダーメイドのスーツなどでもなく、敵の血しぶき、生首、内臓である。

男性向けファッション誌の表紙には「今年の冬は『ウール』でタフに品よくキメる」などと書かれているが、こんなもん「やかましい」の一言だ。男が生地の素材を気にするな。何がタフだ。男たるもの、素材を気にする場合は「この生地は刀や矢を通しやすいか」「敵からの火炎攻撃に耐えうる難燃性はあるか」という点にのみ意識を向けろ。素材名は知らなくて良い。「なんか燃えにくいやつで頼む」と注文してほしい。「ウール?何それ?ああ、羊毛か。じゃあ、最初っからそう言えよ」、そして背中に担いだ剣で店主を斬り殺す。

いや、さすがに二人ともこんなことで人を殺す男ではなかった気がする。妄想が肥大している。ここまでディスコミュニケーションだとデート中えらいことになってしまう。

というか、どこぞのヒロインよろしく「守られたい」などと上述しているが、日本国籍中流家庭出身の平民であるわたしが護衛されるべき脅威など無い。そもそも、文明と秩序が発達した日本社会で腕っぷしの強さを生かす機会などあるのか。いまわたしが守られたいものの対象というと、「所得税」とか「国民年金」、あとは「老後への不安」とかか。急に俗世的。この場合有効なのは剣の腕じゃなくて事務処理能力の高さとか節税の知識とか、堅実な積み立て貯金プランとかになってくる。でかさも強さも関係ない。

まあ、痴漢とか酔っ払いに絡まれる脅威に対しては多少有効かもしれない。でもこの場合、上の二人は完全に絡んできた相手を殺す。絶対殺す。なんせ「いのちはたいせつ」「いのちはびょうどう」といった社会的道徳と最も離れたところにある二人なので。

渋谷にて斬り捨てられた酔っ払いの血しぶきに濡れた服を引っ張って「もういいよぉ、行こうよお」と泣きべそかいている自分の姿が浮かぶ。そして「うぜえ」の一言でわたしも斬り捨てられる。こんなもんデートでなく冥土。なんにも楽しくない。

単純にでかくて強ければいいならプロレスラーやボクサーでいいのでは、と思うが、このへんものすごく面倒くさいところで、「強くなる/筋肉をつける」ことを目標として努力しているのは萎えちゃうのである。ちょい違うのである。要するに、敵からの襲撃や戦いから自分の身を守るための「必要に迫られた」、殺らなきゃ殺られる世界観の結果身に着いた筋肉や強さに魅かれるのであり、そこにジムや人間工学に基づいたトレーニングや食事制限が挟まると途端に「ん~ちがう」となる。

なのでわたしは「俺鍛えてんだ」といって二の腕とかを触らせてくる男はとても嫌いである。こういう手合いは同じ口で「いま減量中だから炭水化物避けてんの」とか言ってくるからタチが悪い。見栄えの良い筋肉のためにみみっちく鶏のササミ食うって本末転倒ではないか。筋肉は「目的」ではなく「手段」だろうが! 男がカロリーやらタンパク質やらを気にするな! 目の前にあるものを手づかみで食え! そう思っている。ただ、同時に「さすがにガッツやカイマンも栄養くらいは気にしてるだろうし、フォークくらい使うだろ」と思う冷静な自分もいる。理想のタイプが「強さ」とか「でかさ」とかではなく単なる筋肉妖怪に近づいていってはいないか。

こういうわけで、結局「異性のタイプ」に対する回答は固まらないまま。わたしの居酒屋でのマゴマゴは続く。余談だが、顔のタイプだけで言うとお笑い芸人の「麒麟」の川島がド真ん中で好き。川島の顔に2メートル越えのマッチョな肉体がつくと文句無いです。ついでに役所関係の手続きに明るいと嬉しい。なんせわたしの現状の敵は「年末調整」とか「源泉徴収票絡みのウンタラ」とかなので。